読む映画
「感想」に毛の生えた程度のレビューをシコシコ書いています  ネタバレだらけなので、未見の方はご注意ください~
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革命児サパタ
1951年 アメリカ映画
テレビ録画にて鑑賞
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 メキシコ革命の英雄エミリアーノ・サパタの生涯を描いた作品。
 私はメキシコを二度ほど訪れたことがあるので、サパタやパンチョ・ビリャの名前くらいは知っていました。
 とは言えメキシコ革命のことを詳しく知っているわけではないので、少々消化不良。
 歴史を描くというよりも、「サパタ」という一人物の姿を描くことに主眼が置かれていたようなので、仕方のないことでしょうが。

 サパタはいったい何のために戦っていたのか。
 「農民が土地を取り戻すため」という表現で説明されていましたが、これってちょっとしたゴマカシがあるように思えました。その点が最初から最後まで気になって仕方がなかったのです。
 と言うのも、メキシコ革命を描くのならば、「先住民の戦い」という視点を欠かしてはいけないはず。先住民が不当に土地を接収され、それを奪還しようとする戦いであったはずなのに、「先住民」「インディヘナ(インディオ)」という表現の代わりに「農民」とのみ表現していたのは、ゴマカシだと思います。

 これはアメリカ映画の限界なのでしょう。アメリカという国も、先住民の土地を不当に接収した移民たちが建国した不当な国家であるという生い立ちを持つのですから。
 だからサパタの戦いは、「農民のため」であって、「先住民の権利のため」とはアメリカ映画では表現できないのでしょう。

 監督のエリア・カザンは元共産党員。先住民の権利闘争の意義くらいは当然理解している人のはずなのですが、この映画が作られた1952年というのは、いわゆる「赤狩り」の最盛期。
 カザンは共産党員の嫌疑をかけられ、保身ためにダシール・ハメットら仲間の文化人たちを政府に密告したという、裏切り行為をしていた時代です。
 そんな時代のカザンが、先住民の権利闘争を正面切って描けるはずもないんですよね。

 だったらどうして、カザンは「メキシコ革命」という、彼にとってはキワドいテーマを描こうとしたのでしょう。
 「共産主義への批判のメッセージを込めた」という見方もあるようですが、私にはそれが読み取れなかった。

 いずれにせよ、「転向」したカザンが「革命」を描いたこの作品は、どうにも中途半端なものにしか思えませんでした。
ビッグ・フィッシュ
2003年 アメリカ映画
テレビ録画にて鑑賞
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 死に瀕した父親を理解するために、息子が父の生涯を追いかけようとする。
 ティム・バートンらしくもない設定ですが、映像はやはりティム・バートン。
 空想の世界に生きた父親のキャラクターも、やはりティム・バートンならでは。

 でも、なんだか退屈でした。
 ユアン・マクレガー演じる、若い頃の(空想の混じった世界の)父親はとってもチャーミングでした。
 その一方で、年老いてなおホラ話ばかりしている父親に、あまり共感を覚えなかったからかもしれません。

テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

ミュンヘン
2005年 アメリカ映画
立川シネマシティにて鑑賞
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 ユダヤ人であるスピルバーグが描いた問題作。
 ミュンヘンオリンピックでのイスラエル選手団殺害事件、いわゆる「ブラック・セプテンバー事件」が題材。
 しかし、描写の大半は、この事件そのものではなく、その後のイスラエルによるパレスチナテロリスト暗殺についてです。

 スピルバーグは、この映画を公開したことで、アメリカのユダヤ人社会では散々に非難されています。
 「パレスチナのテロリストを人間的に描きすぎている」と。

 これはスピルバーグの思惑どおり、想定内の反応でしょう。
 スピルバーグはあえてパレスチナのテロリストを人間臭く描いたのでしょう。同時に、イスラエルの暗殺団も、とても平凡で人間臭く描かれています。

 そのおかげで、イスラエルによる報復行為が、とても愚かしく感じられるのです。

 スピルバーグが社会性の高い作品を描くとき、私がいつも脱帽するのは徹底したリアリズムへのこだわりです。
「プライベート・ライアン」がその最たるものでしょう。「戦場」を即物的に描ききることで、戦場の恐ろしさが迫ってくるように思えました。オマハビーチの上陸作戦で感じた恐怖、街中の白兵戦で突如戦車が地響きを轟かせて現れたときの恐怖は、今でも忘れることはできません。

 この作品でもリアリズムへのこだわりは徹底しています。
 例えば、オリンピック村での一部始終も、かなり細部まで現実に即しています。「ブラック・セプテンバー 五輪テロの真実」というドキュメンタリー映画で観た実写映像と、瓜二つでした。
 また、例えば銃撃戦での銃撃の数まで合致させているというのだから、すごいもんです。

 そして一方で、「テロリストを人間的に描く」というのも、リアリズムであると言えるでしょう。
 テロリストは悪魔だ、殺人兵器だ、と考えるのは主観に過ぎません。
 現実には、テロリストも人間であり、親や家族を大切に思っている善良な面を持ち合わせていたりするのです。

 しかしそれも、アメリカのユダヤ人社会には受け入れられないようです。
 あくまで彼らは「パレスチナのテロリストは悪魔だ」と喧伝しなくてはならず、それを疑問視する声を排除しなくてはならない。

 そんなことはユダヤ人であるスピルバーグは百も承知なのに、この作品を上奏してしまった。
 私は、ユダヤ人社会で爪弾きにされるリスクを覚悟して、この作品を世に送り出したスピルバーグに敬意を表します。

 憎しみは憎しみしか生まない。
 報復は、更なる報復しか生まない。
 そんなことは、例えばパレスチナ問題の埒外にいる私たち日本人には自明なことなのに、当事者たちには理解しにくいものなのかもしれません。

 必要なのは、対話すること。
 お互いがお互いのことを知り、互いの立場や心情を理解することだけが、和解への道なはず。

 パレスチナ問題でも、こんなことはわかりきっているはずなのに、実際にはなかなか進展しない。

 この作品は、一向に解決への道が示されないパレスチナ問題への、スピルバーグなりの意思表明のように思えました。

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アイ・アム・デビッド
2004年 アメリカ映画
テレビ録画にて鑑賞
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 1950年代初頭、ブルガリアの強制収容所に収容されていた少年が、脱走して単身デンマークを目指すというお話。

 そもそもなぜデンマーク人の少年が、ブルガリアの強制収容所に収容されていたのでしょう。
 そこのところの説明がまったく無かったのは、ちょっと残念でした。親が政治犯として囚われたから、というのはわかるとしても、「なぜデンマーク人がブルガリアで政治犯として囚われたのか」ってところがわからないのです。

 もともと原作が児童文学とのことなので、政治や歴史についての突っ込んだ描写は無かったのでしょうが、映画にした以上は、そのへんの説明は欲しかったなと思います。

 とは言え、なかなかいい作品でした。
 収容所に育ち、残酷な体験ばかりしてきた少年が、長い旅のなかでたくさんの人に出会って、変わっていきます。
 笑い方すら知らず、人を信用することができない少年が、人を信じる生き方を知っていくのです。
 「収容所」という異常な世界で壊れかけていた少年の、再生の物語なのです。

 展開はちょっと粗くて、ご都合主義的な演出も多々あり、「ああアメリカ映画だなぁ」と感じましたが、もともと児童文学なのだから、リアリティを求めてはいけないのでしょう。
 そもそも「ブルガリアからデンマークまで少年一人で旅をする」ということ自体にリアリティは無いわけですから。

 一種のファンタジーとして観るべきなのかもしれませんね。
 そう考えれば、ブルガリアでなぜデンマーク人が収容されていたのかという政治臭プンプンのポイントは、あるいは描写を省いて正解だったのかもしれません。

 こういう、「人生は素晴らしいものだ」と伝えようとしている作品は、欠点がいくつもあったとしても、全部許せちゃえます。

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カランジル
2003年 ブラジル映画
テレビ録画にて鑑賞
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 日本では劇場未公開の作品。
 2006年2月はドキュメンタリー強化月間なのか、WOWOWでマイナーなこの作品を流していました。

 この作品はドキュメンタリーではないのですが、1992年にサンパウロの刑務所で実際にあった事件を基にしています。
 暴動を起こした刑務所の服役囚たちに対し、警官隊が無差別発砲、111人が死亡したという事件です。

 逃げ惑う囚人たちを一方的に殺戮した警官隊たちの行為を告発するという描き方をしていて、社会性の高い作品と言えるでしょう。
 でも、作品中のほとんどの時間は、刑務所の中の日常が描かれています。

 刑務所の日常を丹念に描いておいて、唐突に事件が勃発する。
 そういう描き方をすることで、事件の残忍性を際立たせようとする狙いがあったのかもしれませんが、私にはちょっとチグハグに思えました。

 事件そのものよりも、日本人である私にとっては、カランジル刑務所の日常そのものが衝撃的だったのです。
 こりゃ動物園だ、と言ったら動物に失礼なんじゃないかとすら思えるような無秩序で野蛮な世界。
 囚人同士の殺人すら頻発するような世界なのです。

 まるで「刑務」所としての機能が働いておらず、ただ悪党たちの巣窟と化している刑務所。
 日本人の私にはそのことが衝撃的で、日本とブラジルの文化の壁を感じてしまったのでした。

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カレンダーガールズ
2003年 イギリス映画
テレビ録画にて鑑賞
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 夫を病気で亡くした友人の心を慰めるために、中高年の女性たちが自分たちのヌード写真入りのカレンダーを発行するというお話。
 とても奇抜な話に思えるけれど、実話ベースらしいです。

 50代から60代と思われる女性たちのヌードということで、観るのにちょっと勇気が必要でしたが、意外にも(失礼かな)美しいヌードで、ホッとしました。
 ヌードと言っても、大事なところは隠したセミヌードなんですよね。

 イギリス映画、ヌード、中年、というキーワードから、R・カーライル主演の「フル・モンティ」を連想してしまいました。
 「フル・モンティ」は、工場の閉鎖で失業してしまったオジサンたちが、生活のために男性ストリップショーをやるという話です。
 コメディタッチではありながらも、生活苦がベースになった物悲しさの残る作品でした。

 一方この作品は、「フル・モンティ」に比べるとずいぶんとアッケラカンとしています。

 90年代のまだ不況だった頃のイギリスで作られた「フル・モンティ」と、不況を脱して元気になったイギリスで作られたこの作品とでは、やはり時代背景が違うんでしょうね。

 個人的には、オジサンたちの物悲しさが印象的だった「フル・モンティ」のほうが好きです。


 先日、TBSの「世界ウルルン滞在記」で、上原さくらがイギリスでヌードカレンダーを作るというシーンを見ました。
 これは、狂牛病騒動ですっかり景気の悪くなった酪農家のオジサンやオバサンたちが、少しでも収入を得るためにヌードカレンダーを作るというものでした。
 これって、きっとこの映画(あるいはベースとなった実話)にヒントを得たアイデアなんでしょうね。
 面白いアイデアではあるのだけど、あまり乱発されるとちょっと食傷してしまいますね。

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父、帰る
2003年 ロシア映画
テレビ録画にて鑑賞
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 タイトルどおり、父が帰ってきます。

 12年間も家族と音信不通だった父親が、何の前触れもなく、唐突に帰宅。
 そして、父と2人の息子との、理由のわからない旅が始まります。

 とにかく何もかもが、理由のわからないことだらけ。
 父はなぜ12年間も留守にしていたのか。
 父はなぜ息子たちを旅に連れ出したのか。
 父はなぜ息子たちに辛く当たるのか。
 母はなぜそんな父親を受け入れているのか・・・。

 余計なこと、というより本来必要だと思われる情報さえ何も提示されないまま始まり終わってしまう、親子3人の不思議なロードムービーでした。

 ここまで観客側に情報を提示しない作り方というのは、当然監督の狙いがあってのことでしょう。
 どうとでも解釈しようのある、それがこの作品の味なのだと思います。

 ネット上の議論で、「父=神」なのだという解釈がありました。
 ソビエト時代の無神論から、再びロシア正教の価値観に戻されたロシアの人々。
 今さら何なんだ、というロシアの人たちの困惑が、息子2人の困惑に投影されているのではないか、というわけです。

 なるほどな、と思いました。
 でも私は、ちょっと角度を変えて考えてみました。
 ソビエト連邦崩壊という時代背景があるのは同じですが、神の存在うんぬんではなく、資本主義的な価値観に対する困惑が描かれているのではないのか、と考えたのです。
 12年間という父の不在期間が、それを象徴しているように思えます。
 この作品は2003年製作。その12年前というと、1991年。そう、ソビエト連邦崩壊の年です。
 この父親は、そんな時代の波に呑まれてしまった人なのではないでしょうか。旧体制側の人間として監獄にいたのかもしれません。あるいは、資本主義の潮流に乗ろうと、ダーティーな世界で暗躍していた人なのかもしれません。
 ソ連崩壊後、ロシアという国はあまりにも大きな激動を経験し、弱肉強食そのものの世界になってしまっています。

 そんな時代を経験した父は、世の中の厳しさ、汚さというのをイヤというほど知ってしまった。
 息子たちには、厳しい時代を生き抜くためのチカラを授けてやりたい。そんな思いから、父は息子たちに甘い顔を一切見せずにいたのではないかと考えたのです。

 もちろん、こんなのは解釈の一つにすぎません。
 他にいくらでも、この映画を観る切り口はあるでしょう。
 ちなみに監督自身は、「これは人間の魂の、母から父への、形而上学的な旅についての映画である」と語っていますが、キリスト教世界の外に生きる私たちには、わかったようでわからない説明ですね。

 私の解釈など、安易すぎるのかもしれません。
 でも、この映画を観る切り口はいくらでもあっていいのだと思います。

 監督はまた、「観客の心に傷を残したかった」と言っています。
 監督の思うとおり、この作品は何がしかの傷を観客に与えずにはいない作品です。

 主演の男の子(兄のほう)が公開後に溺死した、というオマケまでついた、なんだかとても心に刺さる作品でした。

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ブラザーフッド
2004年 韓国映画
テレビ録画にて鑑賞
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 韓流ブームの真っ只中、チャン・ドンゴンとウォンビンというイケメン俳優が主役という点で、何となく観る気がしていなかったのですが、なかなかどうして骨太のいい映画でした。

 韓流ドラマっぽいベタベタの演出が鼻につくところもあったけれど、それ以上にこの作品の骨太さ、メッセージ性の強さが印象的でした。

 私たち日本人は、朝鮮戦争についてあまりに無知なんだなぁとつくづく感じました。
 北朝鮮がソウルを支配していたことがあったなんて知らなかったし、逆に韓国がピョンヤンを陥落したことがあるってことも知らなかった。
 それに何より、「言葉が通じる同胞たちが殺しあう」ということの残酷さを、知らなかったのです。

 韓国軍兵士と北朝鮮軍兵士は、着ている服が違うだけで、顔かたちに違いはありません。
 そんな彼らが、互いに銃剣で突き合い、首を締め合う姿は、見るに耐えないものでした。

 そして、とても印象的だったのは、韓国の現代史の暗部にまで切り込んでいる点。
 例えば、兄ジンテの婚約者がソウルで惨殺されるシーンがあります。彼女が「保導連盟に加入していた」という理由からです。

 ここのくだり、そもそも「保導連盟」とはいったい何なのかすら私はわからなかったので調べてみました。
 保導連盟というのは、「思想改善組合として韓国政府が組織し、そこに登録すれば共産主義者として処罰はしない」としたものだそうです。

 ジンテの婚約者は「登録すれば麦がもらえるから」といった程度の感覚で保導連盟に登録していたわけですが、そんな彼女ですら結局「共産主義者」として殺される。
 李承晩時代の極端な反共政策の一幕、韓国人にとっては暗部の一つでしょう。実際、この問題については韓国ではタブーとなっていると言います。

 ベタベタのメロドラマのようであり、一方でジンテの人間業ではない戦闘を描いた戦争アクションもののようでもあり、娯楽作として楽しませる力を持っています。
 でもさらに、この作品には「朝鮮戦争とはいったい何なのか」「南北分裂とはいったい何なのか」という問題意識が強烈に感じられ、とても印象的でした。

 こういう映画を観ると、現代の韓国映画というのは本当に力があるのだなとつくづく思います。

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マダガスカル
2005年 アメリカ映画
レンタルDVDにて鑑賞
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 オコチャマ向けの映画だと思っていたのであまり期待もしないまま観始めましたが、素直に笑える楽しい作品でした。
 オコチャマにはちょっとわかりにくいかなぁという描写もあり、「いったいどういう層をターゲットと考えてるんだろう」という疑問は抱きましたが。

 たまにはこういうリラックスして観られる映画もいいもんです。

テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

キング・コング
2005年 ニュージーランド・アメリカ合作
TOHOシネマズ南大沢にて鑑賞
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 アクション系映画にあまり関心が向かない私ですが、あまりにレビューサイト等での評価が高く、しかも監督がピーター・ジャクソンだということもあり、この作品は楽しみにしていました。

 いや~、評判どおり、物凄く楽しめる作品でした。
 3時間30分あまりの作品なので、途中ダレるかなと思っていたのですが、ずっと緊迫しっぱなし。
 恐竜に追いかけられたり、コングが恐竜と格闘したりというシーンには、文句なしに引き込まれました。

 もともとピーター・ジャクソンが、オリジナル(1933年)版の大ファンだったことでリメイクされた作品なのですが、彼のオリジナルに対する愛というか、リメイクしていて楽しくて仕方がない、という気持ちが溢れてくるような作品でした。
 私はオリジナル版を見たことないので、どちらが優れているのかはわかりません。
 隣席に座っていた10歳くらいの子が、「やっぱりオリジナルの方がイイよね」とエンドロールが終わったときにボソっとお父さんに呟いたのにはずっこけそうになりましたが・・・。

 ラストシーンで、監督ジャックが「美女がコングを殺したんだ」というような台詞がありますが、この台詞に引っかかったヒトは多いようですね。私も引っかかりました。
 原語(英語)では”It was beauty killed the beast.”って言っているんで、もしかしたらこの”Beauty”は「美女」ってだけではなくて、「美しさ」「美しい景色」のことも指しているのではないかと個人的には思っています。
 と言うのも、コングが審美眼を持っているということは、島で夕日を眺めるシーンから示唆されています。
 コングがビルに登って飛行機と格闘する前も、コングは頂上から遠くをぼーっと眺めています。
 だから、「女性や景色の美しさを感じる知能を持ってしまったがために、コングは死んでしまったんだ」という意味なのではないかと思ったのです。

 ネット上でもこのあたりのことは議論されていて、上記のような解釈は「深読みしすぎ」とバッサリやられてしまっていますが、本当にただ「深読み」でしょうか?
 そう読まないと、彼の台詞の意味はバカバカしい発言でしかないように思うのですが・・・。
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