読む映画
「感想」に毛の生えた程度のレビューをシコシコ書いています  ネタバレだらけなので、未見の方はご注意ください~
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トスカーナの休日
2003年 アメリカ映画
テレビ録画にて観賞
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 私自身が先日イタリアのトスカーナ地方を訪れたために、何となく気になっていた映画です。

 あまり評価の高い作品ではないようですが、イタリアを「ちょっと覗いてきた程度に」知っている私には、なかなか楽しめました。

 当然ですが、この作品にはアメリカ人のイタリア観が大いに反映されています。いや、むしろイタリアへの憧れが大いに反映されていると言ったほうがいいかもしれない。

 主人公の女性は、「作家兼批評家」という特殊な立場の人ですが、仕事を離れれば現代アメリカ人女性の一典型と言っていいでしょう。
 社会的に自立した強い女性である反面、夫の浮気で離婚、家族はおらず孤独感にさいなまれているのです。

 対するイタリアは、何よりも家族を大事にし、人と人との繋がりが緊密な社会。主人公の女性がそのイタリアの社会に入っていくなかで立ち直っていく姿は、きっと大いにアメリカの女性たちの共感を呼んだのでしょうね。

 ただ残念なのは、主人公の女性のイタリアとの繋がりが、「男との繋がり」を中心に描かれてしまったこと。それも、結局はアメリカから来た若い作家と落ち着くという、何だか腑に落ちない結末なのです。

 若くない女性を主人公にしているのだから、恋愛ばっかり描かないで、恋愛感情の無い関係を中心に描いていけばよかったのに、と思います。

 例えばポーランド移民の青年・パベルや文学者たちのエピソードはなかなか興味深かったのに、あくまでお飾り程度にしか描かれなかったのはとても残念です。

 結婚に絶望して、異国で再出発を期した女性の物語なのだから、もっと深く人生を見つめるような視点で描いてほしかったのです。

 それと、トスカーナの風景の美しさがあまり描ききれていないですね。「なぜトスカーナが楽園なのか」という大事なポイントが、説得力を持って描かれていません。

 それなのに何だか妙に気に入ってしまったのだから不思議なものです。きっとこの作品全体に流れるイタリアへの憧れが、きっと私自身にもあるからなのでしょう。

 作品中、主人公は「イタリア人は楽しむということを知っている」と言っているが、まさにその通り。そのライフスタイルに、日本人である私も憧れてしまうのです。
 というわけで、内容は薄っぺらいとは思うものの、楽しめる一作ではありました。

テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

ショコラ
2000年 アメリカ映画
テレビ録画にて観賞
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 フランスのある小さな田舎町。カトリックの厳しい戒律を守りながら生きる人々の町に、北風に吹かれるようにしてある母娘が住み始める。
 この母娘が始めたチョコレート屋と、戒律と因習で村のモラルを守ろうとする村長の対立が描かれる。
 とは言え、監督はラッセ・ハルストレム。彼独特のファンタジックな世界になっている。

 フランスが舞台でありながら登場人物が皆英語で話しているというのは、アメリカ映画だから許容範囲か。しかし、アメリカ人がフランスを舞台にして、フランスの古い因習を攻撃しているというのは、ちょっと違和感がある。
 ただ、主な出演者は、ジョニー・デップを除き皆ヨーロッパ出身。監督のハルストレムも、スウェーデン出身。そのおかげか、「英語で語られる、古いフランス社会を攻撃しているアメリカ映画」でありながら、リアリティを失ってはいない。ハルストレム独特のファンタジー世界で仕上げているのも功を奏しているのだろう。

 しかし、結局は「古い因習=悪」で「自由な価値観=善」という、アメリカ的二項対立の価値観に陥ってると思う。無秩序でモラルの無い自由な社会の弊害が目立つ現代に、「自由な価値観=善」で押し切ってしまうのは、あまりに素朴すぎないか。

 と、不満はあるのだが、物語はなかなかおもしろい。ハルストレムのファンタジーに引き込まれてしまった。無性にチョコレートが食べたくなってしまう。
 なるほど、チョコレートは確かに魔性と言ってもいいくらいに人を惹きつける魅力があるかもしれないな、とチョコ大好きの私は納得した。

 娘のアヌークを演じていたのは、あのポネットちゃんだったと後で知った。そう言われてみれば、ポネットの面影がまるまる残っている。
 主役のジュリエット・ビノシュも、伯爵役のアルフレッド・モリーナも、ジョゼフィーヌ役のレナ・オリンも、婆さん役のジュディ・デンチも、そしてもちろんジョニー・デップも、皆とても魅力的だった。

テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

トロイ
2004 アメリカ映画
テレビ録画にて観賞
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 本格的な歴史活劇ということで、けっこう評判が高かった作品。しかし、かなり期待はずれだった。
 もともと神話の世界を描いているホメロスの「イリアス」を題材に、有名なトロイア戦争を描いている。独自の解釈をするのは大いにけっこうなのだが、いかにもハリウッド映画としか言いようのない陳腐な「愛」の物語になってしまっている。

 冒頭のモノローグで「私たちがどれほど激しく愛し合ったか、後の世に語り継がれるだろうか」なんてのたまうくだりがあり、そこでまずガクッときた。
 
 トロイのバカ王子がスパルタの王妃をかっさらったことがトロイ戦争の原因であるというふうに描かれているわけだが、このバカ王子の行動はどう考えても軽薄極まりない。おバカな王子を徹底的にダメ役として描いていればまだいいものを、美男子オーランド・ブルームをキャスティングしているところからわかるように、それなりにカッコイイ役として描いている。このバカ王子の「禁断の愛」への陳腐なセリフが好意的に描かれているのだからたまらない。その「禁断の愛」のために5万ものギリシア兵がトロイに戦争をしかけてきた、というのに。

 トロイア戦争自体は、いってみれば神話の世界なわけで、どうアレンジするかは自由であっていいと思う。けれど、こんな陳腐なハリウッド化はさすがにいただけない。

 古代ギリシアや古代ローマ世界を知る一助になればと思って観ただけに、落胆も大きかった。
アトミック・カフェ
1982年 アメリカ映画
テレビ録画にて観賞
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 ヒロシマ・ナガサキからソビエトとの核開発競争まで、核兵器に狂奔したアメリカ社会を軽いタッチで描いた作品。
 徹頭徹尾アメリカ社会をチャカしたその描き方は、痛快ではあるものの、原爆を落とされた側の日本人としては少々不愉快。
 明らかに反核の立場の作品ではあるのだが、言ってみれば「殺した側」が軽いノリで描いた作品なので、「殺された側」としてはたまらない。

 しかし、実録映像をつなぎあわせたこの作品、とにかくショッキングな映像の連続だった。
 原爆を落とした爆撃機のパイロットは、「原爆の投下は最高に興奮した」と無神経にのたまう。
 被爆した広島を調査に訪れた兵士は、「まるでダブルヘッダー後の球場みたいだった」と笑えないジョーク。
 ビキニ環礁での核実験で、住民たちを避難させたものの、「風向きが想定外になった」せいで避難させなかった住民たちが被爆。
 ネバダ砂漠での核実験では、巨大なキノコ雲に向かって通常服の自国の兵士を進軍させる。
 挙句の果てには、「放射能で被害を受けた者は、人類に貢献した無名戦士なのだ」などと、とんでもない発言も。お前が最初に貢献しろ。
 それに何より、広島・長崎の原爆、ビキニ環礁の核実験、ネバダ砂漠での核実験といった、現実の核兵器の爆発映像を立て続けに見せられると、恐ろしくて仕方がない。

 自由の国なはずのアメリカ。しかし実態は、自国民をここまで欺き、無知蒙昧な状態にしてコントロールしていたわけだ。
 おかげでアメリカ人は、いまだヒロシマ・ナガサキの悲惨さを知らず、イラクでの劣化ウラン弾使用の非人道性も知らない。
 「大量破壊兵器をフセインが隠し持っているかもしれない」という大義名分など、大量破壊兵器を世界で一番持っているアメリカが主張できるわけもないことも気づかない。
 自国外のことについては、今も昔も無知蒙昧。アメリカ社会は、何も変わっちゃいない。

 そんなことに気づかせてくれる映画がアメリカから生まれたということは、評価してもいいのかもしれない。
ラスト サムライ
2003年 アメリカ映画
テレビ録画にて鑑賞
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 渡辺謙がアカデミー賞にノミネートされたことで有名な作品。確かに、渡辺謙の存在感は圧倒的で、主役のトム・クルーズをすっかり食ってしまっていた。

 明治初期の内戦ということだから、この作品が西南戦争をモデルにしているということはすぐにわかる。渡辺謙扮する「勝元」は西郷どん、天皇腹心の「大村」は岩倉具視といったところだろう。

 あくまでモデルにしているだけなのだが、時代背景からはもう西南戦争しかありえないので、どうしても史実との食い違いが目に付いてしまった。
 晩年の西郷どんがあんな軽快に動けたはずもないし、西郷どんが雪国に住んでいたはずもない。明治期に「忍者」が暗躍していたともとても思えない。

 設定が中途半端に史実ベースなだけに違和感があった。むしろ西南戦争を下敷きにしないで、まるっきりの創作であれば、そういうものだと思って観ていられたのだろうけど。

 ハリウッド製のサムライ映画は、荒唐無稽で観るに耐えないものばかりということを考えると、この作品はまだマシだとは言える。
 しかしそれでも、やはりしょせんハリウッド映画。「武士道」をあまりに美化しすぎ。
 それに、トム・クルーズ扮するネイサンの過去の武功であるネイティブ・アメリカンとの戦いがチョコチョコと挿入されるが、これがどうにも中途半端。どうせなら、もっときちんとネイティブ・アメリカンのことを描き込んでしまえばよかったのに。ハリウッド作品の限界といったところだろう。

 渡辺謙や真田広之の熱演がなければ、イタい作品に過ぎなかったかもしれない。
フォーン・ブース
2002年 アメリカ映画
テレビ録画にて観賞
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 電話ボックスのなかで見えない敵と格闘するというアイデアはおもしろい。コリン・ファレルの胡散臭い広告マンぶりも秀逸。
 でも何にも残らない映画。時間つぶしにはいいかも。
 
ジョニーは戦場へ行った
1971年 アメリカ映画
テレビ録画にて観賞
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 第一次世界大戦に参戦したアメリカ。「自由」と「正義」という大義名分を信じて志願した青年・ジョニーは砲撃に遭い、手・足・目・耳・口を失ってしまう・・・。

 この作品で描かれるのは、こんな状態になったジョニーが軍の病院に収容され、医療の力で生かされている姿。悲劇的なのは、こんな状態にあっても、ジョニーは正常に思考する力を失っていないこと。医師や看護師らは植物人間として扱っているのに、彼は人の動きを振動や触覚で感じ取ることができること。

 身じろぎ一つできない状態と対比するかのように、恋人と愛し合ったり、走り回ったりする元気な姿が回想シーンとして描かれる。観ていてとても辛い作品だった。しかもこれが実話ベースだというからなおさらだ。

 この作品がつくられた1970年頃のアメリカはベトナム戦争の渦中にあった。その時代にあえてベトナムではなく第一次世界大戦を舞台に据えたのがおもしろい。そのおかげで、戦争の悲劇が普遍的であるということが観客皆に伝わったのじゃないかと思う。

 「自由」と「正義」のために若者が戦場へ駆り立てられ、死と直面しているというのは今も変わらない。
 しかし、私がアメリカ製の反戦映画・厭戦映画を観ていていつも感じるのが、あくまで「兵士の悲劇」を描いているにすぎないこと。この作品も結局はその枠の中にとどまっている。
 戦争で一番辛い状況にあるのは、自ら志願した兵隊ではない。戦場となった地に生活している普通の人々のはず。その視点が、アメリカの反戦・厭戦映画には常に欠落している。

 兵士の悲劇を描くのが、反戦・厭戦気分を盛り上げるのに効果的なのだろうことは理解できる。しかし、その視点だけでいいとはとても思えない。
 自国の兵士が死ななければ戦争は容認されるのか。自国の兵士が死ななければ、「自由」と「正義」という建前で他国民を殺戮してもいいのか。

 アフガンやイラクでの戦争に対してのアメリカ人の感覚は、ベトナム戦争当時とほとんど変わっていない。ほとんどのアメリカ人には、戦地で苦しめられ、恣意的に殺戮される普通の人々の存在が、驚くべきことだが、未だに見えていない。

 「人間の尊厳」という観点で観ると、とても感じる部分の大きいい作品ではある。
 しかし、ベトナム戦争当時につくられた反戦映画であることを考えると、アメリカ製の反戦映画はこんなもんか、と感じてしまった。
キッド
1921年 アメリカ映画
テレビ録画にて観賞
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 チャップリンの代表作のひとつ。「モダン・タイムス」や「チャップリンの黄金狂時代」「チャップリンの独裁者」あたりの他の代表作に比べると、批判精神は影を潜めている。メロメロのメロドラマと言っていいでしょう。

 名作中の名作との誉れ高き作品だが、今回の鑑賞では印象が薄かった。もう十年以上も前だが、大学の授業中初めて観たときには、ずいぶんと感動したんだけど・・・。

 子役の少年はとっても可愛らしくて、それを見つめるチャップリンの優しさもいい。特にパンケーキを二人で分け合って食べる有名シーンは、やっぱり素晴らしい。

 でも、ちょっと物足りないものを感じたのも確か。チャップリン映画に「笑い」を求めていたからかな。

 時期をずらしてまた観てみよう。
モハメド・アリ/かけがえのない日々
1996年 アメリカ映画
テレビ録画にて鑑賞
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 伝説のボクサー、モハメド・アリを追ったドキュメンタリー映画。
 1974年生まれの私にとっては、モハメド・アリはまさに「伝説」の人物。ベトナム反戦の観点から兵役拒否をしたということなんかは知っていても、試合をリアルタイムで観たことはない。この作品で描かれている対フォアマン戦、いわゆる「キンシャサの奇跡」は、1974年に行われたのだから。

 そんな私にとっては、この作品で描かれるアリはずいぶんとエキセントリックな人物に見える。フォアマンとの世紀の一戦を前にして、興奮状態にあったのだろうけど、やたらめったらフォアマンを「口撃」してみたり、自分を鼓舞するように異常に饒舌だったり。
 ボクサーである以前に、生来のエンターテイナーであるように描かれていた。これは好みだろうけど、僕はむしろ実直そうなフォアマンの佇まいに好感を持ってしまった。

 とは言え、アリがどうして今でもカリスマ的な人気を保っているのかは、この作品ではっきりとわかる。
 公民権運動の熱い時代を経験し、ブラック・モスレムとなったアリは、とっても政治的な意識が高かったようだ。ザイールのキンシャサで世紀の一戦が行われることについても、「アメリカの黒人がアフリカに帰還する」という視点で見ていたようだし。
 政治的な発言を抜きにしても、アリの言葉はとても刺激的でおもしろい。頭が切れる人物なのだ。

 世の格闘家たちは、こう言っては何だが、人間的な魅力を発散させている人は少ないように思える。人間臭さはあっても、一人の人間として敬意を評せるような人はなかなかお目にかかれない。アリは、数少ない例外の一人なのだろう。だからこそ、今でも語り継がれる「伝説」のボクサーなのだ。

 欲を言えば、同じく「伝説」のボクサーであり、人間的にもアリと同じくらい魅力的であるはずのフォアマンを、悪役的な描き方をしてほしくなかった。
きみの帰る場所/アントワン・フィッシャー
2002年 アメリカ映画
テレビ録画にて観賞
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 黒人俳優の大御所といった風格の出てきたデンゼル・ワシントンの初監督作品。彼の出演している作品を観ていれば、彼が知性と良心を兼ね備えている人だということは容易に想像つくが、この作品はその知性と良心が溢れ出るような作品だった。こういう良心的なアメリカ映画を観るとうれしくなる。

 簡単に言えば、幼い頃からの心の傷のために暴力沙汰を起こしてばかりいる短気な青年の再生物語。母親が刑務所で服役中に父親は殺され、母は刑務所で産まれた自分を見捨て、里親の下では死ぬほど殴られ、性的虐待をも受ける。久しぶりに会った唯一の友人はスーパーで強盗をしようとして目の前で殺される・・・。とにかくこれ以上考えられないような過酷な環境のなかで育った青年アントワンは、水兵となってからも、侮辱に対して怒りの衝動を抑えられないでいた。この話が、「アントワン・フィッシャー」という実在する人物の物語だということが最後に明かされたときは、さすがに驚いた。

 海軍の診療所で彼を担当する精神科医ダベンポートを演じたのが、監督デンゼル・ワシントン。やはりこの人の演技力には改めて脱帽するしかないが、この精神科医の描き方もおもしろかった。
 アントワンにとって、ダベンポートは唯一頼れる父親のような存在になっていく。観客にとって、ダベンポートは迷える子羊を導く神のような存在だ。しかし、ダベンポートはアントワンに対して必ずしも献身的ではなく、ビジネスライクに冷たくあしらうことすらある。
 ダベンポートも神ではなく、妻との間に人に言えない悩みを抱える一人の人間なのだ。そのように描かれることで、この作品はただのお涙頂戴モノとは一線を画している。

 この作品を観ている間、ずっと頭にあったのは、「犯罪者の更正」の問題。最近の日本では、許しがたい凶悪で卑劣な犯罪がやたらと増えてきているので、どうしても犯罪者への憎しみや蔑みを抑えられず、やはり悪いやつは悪いんだと考えてしまう。
 アントワンは犯罪者だとは言えないが、ダベンポートとの出会いがなければいずれ何らかの犯罪を犯したかもしれない。人に愛されず、必要とされているという実感もなく生きてきた人間が、人に愛され必要とされることで、生まれ変わっていくことができる。
 この作品はその当たり前だとすら思っていたことを、説得力を持って描いてくれた。

 玉石混交の、多くの作品に出演しているデンゼルだが、彼の根っこには、やはり黒人差別への問題意識が深く根ざしていることも感じられた。
 「遠い夜明け」や「マルコムX」で黒人差別と戦う活動家を演じたデンゼル。アパルトヘイト時代の南アフリカや、公民権運動以前のアメリカだけではなく、現代のアメリカでも根強く黒人差別があるのだという問題意識が彼にはあるのだろう。

 現代のアメリカにおいて、黒人以上に差別の対象となりえるアジア人である私にとっては、現代の黒人差別というのは肌で感じにくいというのが正直なところ。しかしデンゼルのいるポジション、つまり黒人差別を正面切って描ける黒人というポジションは貴重だろう。これだけの大役者になりながらもアンクル・トムにはならない彼には頭が下がる。

 話の展開に盛り上がりが欠ける点があるのも確か。しかし、これだけ緻密に、アントワンという一個の人間の心を描ききったデンゼルには拍手を送りたい。これからは監督・デンゼルにも期待していいのかな。
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