読む映画
「感想」に毛の生えた程度のレビューをシコシコ書いています  ネタバレだらけなので、未見の方はご注意ください~
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アトミック・カフェ
1982年 アメリカ映画
テレビ録画にて観賞
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 ヒロシマ・ナガサキからソビエトとの核開発競争まで、核兵器に狂奔したアメリカ社会を軽いタッチで描いた作品。
 徹頭徹尾アメリカ社会をチャカしたその描き方は、痛快ではあるものの、原爆を落とされた側の日本人としては少々不愉快。
 明らかに反核の立場の作品ではあるのだが、言ってみれば「殺した側」が軽いノリで描いた作品なので、「殺された側」としてはたまらない。

 しかし、実録映像をつなぎあわせたこの作品、とにかくショッキングな映像の連続だった。
 原爆を落とした爆撃機のパイロットは、「原爆の投下は最高に興奮した」と無神経にのたまう。
 被爆した広島を調査に訪れた兵士は、「まるでダブルヘッダー後の球場みたいだった」と笑えないジョーク。
 ビキニ環礁での核実験で、住民たちを避難させたものの、「風向きが想定外になった」せいで避難させなかった住民たちが被爆。
 ネバダ砂漠での核実験では、巨大なキノコ雲に向かって通常服の自国の兵士を進軍させる。
 挙句の果てには、「放射能で被害を受けた者は、人類に貢献した無名戦士なのだ」などと、とんでもない発言も。お前が最初に貢献しろ。
 それに何より、広島・長崎の原爆、ビキニ環礁の核実験、ネバダ砂漠での核実験といった、現実の核兵器の爆発映像を立て続けに見せられると、恐ろしくて仕方がない。

 自由の国なはずのアメリカ。しかし実態は、自国民をここまで欺き、無知蒙昧な状態にしてコントロールしていたわけだ。
 おかげでアメリカ人は、いまだヒロシマ・ナガサキの悲惨さを知らず、イラクでの劣化ウラン弾使用の非人道性も知らない。
 「大量破壊兵器をフセインが隠し持っているかもしれない」という大義名分など、大量破壊兵器を世界で一番持っているアメリカが主張できるわけもないことも気づかない。
 自国外のことについては、今も昔も無知蒙昧。アメリカ社会は、何も変わっちゃいない。

 そんなことに気づかせてくれる映画がアメリカから生まれたということは、評価してもいいのかもしれない。
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グッバイ、レーニン!
2003年 ドイツ映画
テレビ録画にて観賞
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 1990年頃、ベルリンの壁崩壊直前の東ドイツ。
 心臓発作で倒れ、ドイツが統一されたことを知らない状態で意識を回復した母にショックを与えないため、息子は母の周りの世界をニセモノの東ドイツで塗り固めていく・・・。

 手放しで賞賛された東西ドイツの統合だが、市民一人一人の視点で見れば、悲喜こもごもの物語がある。価値観の激変についていけない人たちも当然いる。
 コメディタッチで軽い描写のなかにも、当時の東ドイツ社会の戸惑いがとてもよく描かれていると思う。

 まず、アイデアがとってもおもしろい。実際には劇的な変化の真っ最中にあるベルリンのなかで、母の知っている世界を創り続けるというのはとてつもない労力が必要。ウソのTV放送をビデオで製作するという手の込みよう。「何もそこまで」と考えたくなるところだが、「ショックを与えたら母は死んでしまう」と切迫した状況を作ることで、リアリティが生まれている。

 息子は、当初はあくまで「母のため」に架空の東ドイツ社会を創造しつづけたのだが、次第にそれは自分の中にある理想社会を体現させるものに変化していく。
 東ドイツに西ドイツのヒトやモノが増えたのは、西ドイツの腐敗した社会から逃げ出した人々が難民として入ってきたからであり、東西ドイツの統合は、あくまで東ドイツ主導で平和的に行われる。

 はっきりとは描かれていないが、そんな息子のウソを、母は途中から完全に見破っていたと思う。
 ラスト近くのシーン、東西ドイツの統合を映し出すニュース映像(ニセモノ)を眺めながら、母が息子を見つめながら「素晴らしいわ」と声をあげる。
 これは、東西ドイツが統合したことが「素晴らしい」と言いたかったのではなく、自分のためを思い架空の世界を創りつづけている息子の気持ちが「素晴らしい」と言いたかったんだと思う。母は息子の自分への愛に素直に感動していたのだ。
 母は、息子のウソに気づきながらも、気づいていないことを装ったまま死んでいく。息子の優しいウソに、母も優しいウソで応えたのだ。

 観た後にとてもやさしい気分になれた。下手をすれば「社会主義へのノスタルジー」と一蹴されかれないテーマの作品なのだが、あくまで物語の本筋を母と息子の愛情に置いていたのがよかった。
花とアリス
2003年 日本映画
テレビ録画にて観賞
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 正直、30歳の既婚オトコが観るもんではなかった。少女マンガばりの乙女チックな描写には背筋がゾゾゾとなった。
 しかも、作ったのが40オヤジの岩井俊二なのだから、なおのことゾゾゾとなった。40オヤジの描く乙女チックな世界って・・・。
海を飛ぶ夢
2004年 スペイン・フランス・イタリア合作
TOHOシネマズ南大沢にて鑑賞
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 久しぶりに劇場で鑑賞。最近映画館になかなか足が向かなかったので公開作品のチェックすらまったくしていなかった。ゴールデンウィーク、久しぶりに映画館行くか~と公開作をチェックしてみたところ、かなり高評価の作品だったので、さっそく観に行くことにした。

 重い映画だというのはわかっていたものの、予想以上に重い作品だった。「尊厳死」という、とってもデリケートで難しいテーマを真正面から描いているのだから当然なのだが。

 若い頃の事故のために、30年近くも肢体不自由の体で生きてきたラモンは、「尊厳死」という選択を選ぼうとする。スペインでは尊厳死が認められていないため、裁判による法改正という大胆な手法で正々堂々と尊厳死を遂げようとしている。

 そんなラモンと、彼の周りの人々の心の葛藤がテーマになっている。ラモンの意思を尊重するのであれば、彼に尊厳死を遂げさせてあげるのが道理だろう。しかし、何十年もラモンを介護し、心の通じ合った家族たちが、「はい、そうですか」と簡単に尊厳死を受け入れられるはずもない。

 仮に自分の肉親が事故で肢体不自由となり、尊厳死を求めていたとしたらどうだろう。その生きる苦しみを理解できたとしても、やはり尊厳死というのは受け入れがたいことだと思う。

 ラモンの場合、四肢は不自由だが、頭脳は極めて明晰で、意志がしっかりとしている。そんな条件ですら、尊厳死を受け入れるのは難しい。
 先日アメリカで大騒ぎになった事例もあったが、本人が植物人間状態で意志を周りに伝えられないような状態であれば、なおのこと難しいだろう。
ラスト サムライ
2003年 アメリカ映画
テレビ録画にて鑑賞
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 渡辺謙がアカデミー賞にノミネートされたことで有名な作品。確かに、渡辺謙の存在感は圧倒的で、主役のトム・クルーズをすっかり食ってしまっていた。

 明治初期の内戦ということだから、この作品が西南戦争をモデルにしているということはすぐにわかる。渡辺謙扮する「勝元」は西郷どん、天皇腹心の「大村」は岩倉具視といったところだろう。

 あくまでモデルにしているだけなのだが、時代背景からはもう西南戦争しかありえないので、どうしても史実との食い違いが目に付いてしまった。
 晩年の西郷どんがあんな軽快に動けたはずもないし、西郷どんが雪国に住んでいたはずもない。明治期に「忍者」が暗躍していたともとても思えない。

 設定が中途半端に史実ベースなだけに違和感があった。むしろ西南戦争を下敷きにしないで、まるっきりの創作であれば、そういうものだと思って観ていられたのだろうけど。

 ハリウッド製のサムライ映画は、荒唐無稽で観るに耐えないものばかりということを考えると、この作品はまだマシだとは言える。
 しかしそれでも、やはりしょせんハリウッド映画。「武士道」をあまりに美化しすぎ。
 それに、トム・クルーズ扮するネイサンの過去の武功であるネイティブ・アメリカンとの戦いがチョコチョコと挿入されるが、これがどうにも中途半端。どうせなら、もっときちんとネイティブ・アメリカンのことを描き込んでしまえばよかったのに。ハリウッド作品の限界といったところだろう。

 渡辺謙や真田広之の熱演がなければ、イタい作品に過ぎなかったかもしれない。
幸せになるためのイタリア語講座
2001年 デンマーク映画
テレビ録画にて観賞
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 先日、「しあわせな孤独」というデンマーク映画を観た。ずいぶんと地味な作品だったが、緻密な人物描写が印象的な作品だった。

 同じくデンマーク映画のこの作品、やはり地味ではあるものの、人物描写がとても緻密な作品だった。最近の私はオトナになったせいか(老けただけ?)、こういう作品にとても惹かれるようになった。

 登場人物たちは皆、人生があまりうまくいっていない。
 新任神父アンドレアスは、前任の神父の執拗な嫌がらせに遭っている。元サッカー選手のハルは、カッとしやすい性格が災いして仕事をクビになってしまう。ホテルマンのヨーゲンセンは、上司に命令され、親友のハルをクビにする役回り。美容師のカーレンは、アル中の母がカネをせびりにくるのにウンザリしている。パン屋のオリンピアは、病気の父の神経質さと過干渉にビクビクし、疲れきっている。

 そんな彼らが、市役所の「イタリア語講座」でつながり、徐々に連帯感や恋心も芽生えてくる。決して若くない彼ら、夢や希望をなかなか抱けない人生を送りながらも、「イタリア語講座」という非日常にいる時間だけ、少しだけ心を安らげることができる。
 そういう姿に、30代になってしまった私は共感を覚えるのかもしれない。

 人生って、楽しいこともあるけれど、辛いことも同じくらいある。人によっては、辛いことのほうがずっと多いのかもしれない。
 そんな人生のなかで、ささやかな幸せを大事にして生きていくことがどれだけ素晴らしいことか。そんなことを教えてくれる作品だった。
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