読む映画
「感想」に毛の生えた程度のレビューをシコシコ書いています  ネタバレだらけなので、未見の方はご注意ください~
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9000マイルの約束
2001年 ドイツ映画
テレビ録画にて観賞
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 第二次世界大戦後、ソビエトで抑留されたドイツ兵の物語。
 タイトルからある程度想像つくが、強制収容所に収容されたドイツ兵が脱走し、9000マイル(1万4000km以上!)も歩き通して、故郷へ帰るというとんでもない話。
 実際は途中イランへ渡り、空路ドイツへ帰ったようだが、とにかくシベリアを一人で歩き通したのは間違いない。

 改めて地球儀でシベリアを眺めてみたが、やはり途方も無く大きい。まず普通なら逃げることも考えないだろう。
 なにせ彼が収容されていたのは、シベリアの最東部、ベーリング海峡に近いデジネフ岬。とてつもなく広大なシベリアを延々と、それも凍て付く大平原をさまよい歩いてきたというのだから、ありえない。
 と言いたいところだが、実話らしい。

 ロードムービーとしても十分おもしろい。
 「ほんとかよ」と言いたいくらい、危機に陥ったときには現地の親切な人々に救われる。現地の人々との交流がまた、涙を誘う。

 「収容所から逃げてきた薄汚れたドイツ兵」というのは、現地の人々にとっては薄気味悪い人間のはず。本来ならまず関わりたくないだろう。

 それでも助けてくれたのは、彼らシベリアに住む人々、なかでも非ロシア人の人々は、ソビエトによる高圧的な支配に対する反感が根強くあるからなのだろう。
 ヤクーツクに住むモンゴル族(ヤクート人?)の人々の献身ぶりや、ポーランド系ユダヤ人(本来ドイツ人を殺したいほど憎んでいるはず)の複雑な心境が、とっても印象的だった。

 当時、スターリン政権下のソビエトがとんでもない国だったことがこの作品からも伺える。対戦直後にフランスからソビエトに移住した家族を描いた「イースト/ウェスト 遥かなる祖国」でも描かれていたが、こんなとんでもない圧制が公然と行われていたのが恐ろしい。

 一方で、彼らドイツ兵たちと同じ運命にあった、日本の「シベリア抑留兵」たちの苦しみにも思いをはせざるをえない。
 日本兵よりはるかに寒さに強いはずのドイツ兵でさえ、バタバタと凍死してゆく地獄の寒さ。劣悪な環境のなか、どれだけ深い絶望にあったことか。

 ともあれ、この映画の原作とやらをぜひ読んでみたい(邦訳されてるのかな)。また、日本のシベリア抑留兵の手記なども、読んでみたくなった。

 この手の辛い歴史は、あまり考えずに生きているほうが楽。
 それでもやはり、忘れるべきではないと思う。
 中国人に指摘されるまでもなく、日本人は歴史を忘れすぎる、と私も思う。
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炎の戦線 エル・アラメイン
2002年 イタリア映画
テレビ録画にて観賞
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 第二次世界大戦における北アフリカ戦線、エジプトで行われた「エル・アラメインの戦い」が背景。
 「炎の戦線」なんていうタイトルからは、スタローンやシュワルツェネッガーでも出てきそうな作品を連想したので、タイトルだけで鑑賞対象から外すところだった。危ない危ない。
 邦題は「エル・アラメイン」だけでよかったんじゃないかな。

 観終わったあとに調べてみたところによると、この「エル・アラメインの戦い」は、枢軸国(ドイツ・イタリア)と連合国(イギリス)の決死の一戦だったらしい。そして、この作品からはまったく窺い知れないが、敵の裏をかき欺きあうような、戦術合戦だったらしい。
 この作品は、そんな化かし合いの戦争に翻弄されたイタリア兵たちを描いている。
 彼らはロクな武器を持たず、十分な交代要員も得られず、「司令部に見放された」という疎外感を感じながら、最前線で絶望的な日々を送っている。
 「退却しろ」と命令されて退却すれば、「これは退却ではない。また攻撃に出ろ」と命令される。
 命からがら街にたどり着けたかと思えば、その街はすでに敵の手に落ちている。

 最前線に孤立してしまった部隊は、あまりに悲惨なのだ。

 彼らの姿は、同時期(数年後だが)の中国やニューギニアなどにおける帝国陸軍兵士たちの姿とあまりに似通っている。
 ただ、わが帝国陸軍兵士たちはもっともっと過酷で、絶望的で、非人間的な環境にいた。何しろ、補給物資や食料が足りないのではなく、「無い」状態で、現地調達を前提に、ジャングルを「退却」ではなく「進軍」させられたのだから・・・。

 どうしても日本の陸軍兵士たちの悲惨さと比較してしまい、「まだマシじゃん」なんて思ってしまった。
 しかしそれは、「エル・アラメインの戦い」という、ヨーロッパ人であれば常識の範囲内であろう歴史的な大合戦を知らなかったことが大きいだろう。もしこの華々しく戦術が大成功を収めた戦いの内実を知っていれば、その影にこんな現実もあったのだと感じ入ったのだと思う。
フォーン・ブース
2002年 アメリカ映画
テレビ録画にて観賞
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 電話ボックスのなかで見えない敵と格闘するというアイデアはおもしろい。コリン・ファレルの胡散臭い広告マンぶりも秀逸。
 でも何にも残らない映画。時間つぶしにはいいかも。
 
マグダレンの祈り
2002年 イギリス・アイルランド合作
テレビ録画にて観賞
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 1960年代のアイルランド。三人の少女が「性的に堕落している」との理由でマグダレン修道院に収容される。
 「従兄弟にレイプされた」「男を誘惑する色気がある」「私生児を産んだ」というのが、「性的に堕落している」ことになるらしい。

 援助交際や少女売春といった、際限なく性的に堕落してしまっている連中が少なくない現代の日本では、性のモラルの問題は真剣に考えなくてはならない。だけどこの作品での「性的に堕落している」というのはまったく別次元の話。

 何より恐ろしいのは、その少女たちを親らが突き放し、修道院送りにしている点。敬虔なカトリック信者たちにとっては、女性の貞操は何よりも尊いもので、不貞な女性は汚らわしく、一族の恥以外のなにものでもなかったということだろう。

 この作品によると、このマグダレン修道院のような、女性を監禁する施設が、なんと1996年までアイルランドに存在していたらしい。決して大昔の出来事ではない。

 アイルランドではもうこんな酷いことは行われていないのだろうけど、世界中にはまだまだこういった女性差別が公然と行われている地域がある。この作品で描かれていたことは決して一部の特殊なものではない、ということを私たちは知っておいたほうがいいと思う。

 私はまったく信仰心の篤さとは縁が無い。それでも、外国を訪れたときに信仰心の篤い人々の姿を目にすると、その生き方や人間性には敬意を感じることも多い。特にイスラム教徒の心の穏やかさには感動をおぼえることもある。
 自分の信仰心の薄さが恥ずかしくなったりもする。

 一方で、「文化の多様性」という面からも、地域に根付く文化や習慣というのは極力尊重されるべきだと思う。
 地域の文化・習慣と、こういった差別というのは、表裏一体。人間の尊厳を奪うようなものは絶対に許されるべきではないけれど、それをどこで線引きすればいいのか。

 それを考えるべきなのは、そこに住む人々。例えば、この作品の主人公らが理不尽さを訴え、その訴えを地域社会が汲み取ることで変わっていくべきなのだろう。
レボリューション6
2002年 ドイツ・アメリカ合作
テレビ録画にて観賞
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 80年代のベルリン、政府に対して抵抗運動を繰り広げていたアナーキストの若者たちが、当時仕掛けた爆弾が15年もの時を経て爆発してしまったのをきっかけに再結集する・・・。

 まったく共感不能な作品だった。
 言ってみれば、世の中のものすべてに反抗しようとするパンクロックの価値観に生きている連中であり、彼らの行動には大義や名分が汲み取れない。
 実際に当時ベルリンにいたアナーキストたちがどうだったかは知らないが、少なくともこの作品の主人公たちはただのイカレた連中に過ぎない。

 日本でも60年代から70年代にかけて、安保闘争をはじめとした学生運動があった。全共闘世代の子供世代にあたる私は、全共闘世代の人たちが語る「熱い時代」にウンザリし、「しょせん一種のブームだっただけだろ」という偏見を持っている。
 それでも、彼ら全共闘世代には大義名分が存在し、すべてではないにしろ、多くの若者が社会正義を真剣に考えていたことは否めないとも思っている。

 それに比べてこの作品の主人公たちは(時代背景がまったく違うから比較してもしかたないかもしれないが)、ただ遊んでいるだけ。とにかく反抗して、メチャメチャやっているヤツがかっこいい。そういう連中に過ぎない。

 スタイリッシュではあったし、人物の描写もなかなかおもしろかった。
 それでも観ていて反感を覚えるだけの作品だった。
1960年 フランス映画
テレビ録画にて観賞
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 フランス版脱獄映画。
 同じ監房に居合わせた5人の男が、力をあわせて脱獄を図る。たったそれだけの話なのだが、5人の男のキャラクターが際立っていて、モノクロの絵作りの上手さからくる絶妙な緊張感もあいまって、おもしろい作品だった。

 脱獄映画といえば、「暴力脱獄」「パピヨン」、最近では「ショーシャンクの空に」。「刑務所からの脱獄」という非日常は、戦争と同様、映画の題材に適しているのだろう。おもしろい作品に出会う率が高い。

 上に挙げたアメリカ製の脱獄映画を観て感じるのは、日本と違ってアメリカはさすが個人主義の国だなあということ。日本の刑務所モノにありがちな囚人の卑屈さは感じられない。
 ましてやこれは、個人主義の親玉といってもいいフランスの脱獄映画。やはりアメリカ製のものに輪をかけて、囚人がやたら堂々としていた。

 アメリカの脱獄映画は、どうしても囚人同士の友情をやたら強調したり(それがグッとくるのだが)、ドラマチックな展開に流れがちだが、この作品は違った。みんなバラバラで、行動は個人の自由。
 最後の最後で「オレはやっぱり行かない」と居残りを主張した男に対しても、「お前も大人だから、好きにしろ」と、説得することもなく、突き放す。このシーンはフランスならではだなぁと思った。

 話はスリリングで面白いのだが、好きかどうかと聞かれれば、決して「好き」とは言えない。
 それぞれの囚人たちが個性的なのはいいのだが、皆どうも自分勝手すぎる。彼らが収監されているのは、重犯罪を犯したからに他ならない。明らかに冤罪である、あるいは、どうしてもシャバでやらなくてはならないことがある、といった観客を納得させられる理由がないとね。
 ただ「長い時間刑務所にいるのなんて真っぴらごめんだ」なんて理由で脱獄されても・・・おまえら頼むから捕まってくれ、と思ってしまった。
 ましてやそこは刑務所ではなく、環境がそんなに劣悪でもない(監房内でグウタラ寝ていてても許される)拘置所だというのだから、ありし日のアルカトラズや網走刑務所からの脱獄とは訳が違う。
 
ジョニーは戦場へ行った
1971年 アメリカ映画
テレビ録画にて観賞
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 第一次世界大戦に参戦したアメリカ。「自由」と「正義」という大義名分を信じて志願した青年・ジョニーは砲撃に遭い、手・足・目・耳・口を失ってしまう・・・。

 この作品で描かれるのは、こんな状態になったジョニーが軍の病院に収容され、医療の力で生かされている姿。悲劇的なのは、こんな状態にあっても、ジョニーは正常に思考する力を失っていないこと。医師や看護師らは植物人間として扱っているのに、彼は人の動きを振動や触覚で感じ取ることができること。

 身じろぎ一つできない状態と対比するかのように、恋人と愛し合ったり、走り回ったりする元気な姿が回想シーンとして描かれる。観ていてとても辛い作品だった。しかもこれが実話ベースだというからなおさらだ。

 この作品がつくられた1970年頃のアメリカはベトナム戦争の渦中にあった。その時代にあえてベトナムではなく第一次世界大戦を舞台に据えたのがおもしろい。そのおかげで、戦争の悲劇が普遍的であるということが観客皆に伝わったのじゃないかと思う。

 「自由」と「正義」のために若者が戦場へ駆り立てられ、死と直面しているというのは今も変わらない。
 しかし、私がアメリカ製の反戦映画・厭戦映画を観ていていつも感じるのが、あくまで「兵士の悲劇」を描いているにすぎないこと。この作品も結局はその枠の中にとどまっている。
 戦争で一番辛い状況にあるのは、自ら志願した兵隊ではない。戦場となった地に生活している普通の人々のはず。その視点が、アメリカの反戦・厭戦映画には常に欠落している。

 兵士の悲劇を描くのが、反戦・厭戦気分を盛り上げるのに効果的なのだろうことは理解できる。しかし、その視点だけでいいとはとても思えない。
 自国の兵士が死ななければ戦争は容認されるのか。自国の兵士が死ななければ、「自由」と「正義」という建前で他国民を殺戮してもいいのか。

 アフガンやイラクでの戦争に対してのアメリカ人の感覚は、ベトナム戦争当時とほとんど変わっていない。ほとんどのアメリカ人には、戦地で苦しめられ、恣意的に殺戮される普通の人々の存在が、驚くべきことだが、未だに見えていない。

 「人間の尊厳」という観点で観ると、とても感じる部分の大きいい作品ではある。
 しかし、ベトナム戦争当時につくられた反戦映画であることを考えると、アメリカ製の反戦映画はこんなもんか、と感じてしまった。
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