読む映画
「感想」に毛の生えた程度のレビューをシコシコ書いています  ネタバレだらけなので、未見の方はご注意ください~
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女はみんな生きている
2001年 フランス映画
テレビ録画にて鑑賞
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 女性監督が描く、女性のための映画。バリバリのフェミニズム映画と言ってもいいだろう。
 とにかく出てくる男がみんなダメ男ばかり。男のはしくれとしては、いくらなんでも世の中の男はここまでダメ男ばかりじゃないぞ、と少々異議を唱えたくはなる。
 だけど、男の身勝手さ、愚かさを言い当てているのも事実。男のバカっぷりには、苦笑いをせざるをえない。

 「バリバリのフェミニズム映画」と書いたが、内容はサスペンス風のフレンチ・コメディ。とにかく随所で笑いが満載、とことん笑わせてもらった。

 主人公の二人の女性がとっても魅力的なのがよかったのかもしれない。特に平凡な主婦役の女性が、おっとり天然風の人柄ながら一生懸命自立しようとしている姿がよかった。

 もう一人の娼婦役の女性は、物語中盤で明かされるその生い立ちがあまりに衝撃的。地中海を隔てた隣国アルジェリアから、親に売られてフランスへやってきて、挙句の果てには売春組織に取り込まれてシャブ漬けの娼婦に。イスラム社会の女性が、強制的に娼婦にさせられるというのは悲劇だ。

 アルジェリアから身売りされた娘がフランスで娼婦に、というケースはままあるのかもしれない。しかし、少しこの作品で気になったのは、イスラム社会を男尊女卑社会と断じていること。
 フランスと言えば、学校へのイスラム女学生の「スカーフ着用禁止法」を実施し、物議をかもしたことが記憶に新しい。これなどは行き過ぎた反宗教思想・世俗思想の表れなのだろう。
 こういったフランス社会の過激と言ってもいい部分が、この作品にも出てきてしまったように思える。
 女性の立場からイスラム社会を批判的に見る視点は大事だろう。しかしイスラム社会とキリスト教社会との軋轢が改めて表面化しつつある現代、イスラム社会の影の部分をキリスト教社会の人間が批判するのは、慎重さが求められることだと思う。

 映画の話から少々逸れてしまったが、上に述べたことは言ってみれば瑣末なことであり、全体的に見ればとてもユーモア溢れながら社会性のあるテーマを織り込んだ、優れた作品であることに違いはない。

 この作品は観客となる男性の度量を試す作品にもなりえるだろう。「男はこんなバカばかりじゃない」「女だってダメなやつはいるじゃないか」とプリプリ怒ってしまうような男は、程度の差はあれ、男社会を肯定しているのかもしれない。
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イン・ディス・ワールド
2002年 イギリス映画
テレビ録画にて鑑賞
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 イギリスを代表するマルチ映画作家、マイケル・ウィンターボトムの作品。

 節操が無い、とさえ感じるほど、いろんなテーマの作品に挑戦しているウィンターボトム。この作品は、パキスタンに住むアフガン難民が陸路でロンドンを目指すという物語。ボスニア紛争を舞台にした「ウェルカム・トゥ・サラエボ」(1997)と同様、紛争地域に住む人を描いている。ただ、「ウェルカム~」があくまでイギリス人ジャーナリストを主人公にした作品だったのに対し、この作品はアフガン難民自体を延々追いかけているという点で、アプローチの仕方に違いがある。

 「ウェルカム~」では、しょせん先進国の人間の視点に過ぎず、悪く言えば偽善的な視点だとすら感じた。今作も、やはりイギリス人監督が描く、ヨソモノの視点の中東世界に過ぎないという限界は感じるのだが、言ってみれば主人公のアフガン難民らも、イランやトルコといった国々ではヨソモノ。主人公らが各地で感じる不安や恐怖は、ヨーロッパ世界に住む人々が中東世界を這うように旅したときに感じる不安や恐怖と、それほど違いはないのかもしれない。
 もちろん、彼ら難民たちは捕まったら命の保証は無いというギリギリの旅をしているのだから、切迫感に違いはある。だけど、言葉が通じない世界で、待ち受けるペテン師や高圧的な警官といった連中にある程度身を委ねざるを得ないという点では同じと言える。
 そういう意味で、今回のアプローチの仕方は上手いと思った。

 彼らが命を賭けてまで不法入国をしようとするのはなぜか。先進国に住む私たちは、不法入国者を「カネ儲けのために入国しようとするけしからん連中」という予断をもってはいないだろうか。
 「カネ」も確かに重要な要素ではあるだろう。しかしそれ以上に、夢を持つことのできない現状から抜け出すために、彼らは命を賭けている。少なくとも、アフガン難民という立場にいる彼らは、そうだっただろう。

 この作品を観て、先進国に住む私が「感動する」ことはできなかった。この世界の不平等さを突きつけれられ、ただ動揺するしかなかった。
北京ヴァイオリン
2002年 中国映画
テレビ録画にて鑑賞
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 天才ヴァイオリン少年の物語。
 音楽の才能を持つ子が葛藤しながら成長していく物語というのは、映画の題材になりやすいのだろうか。いま思いつくだけでも、「シャイン」「リトル・ヴォイス」「ビヨンド・サイレンス」など、いい作品がいくつもある。

 上に挙げた作品同様、この作品もとてもいい。後半は涙無しには観られないと思う。チェン・カイコーのつくる映像世界は、美しくてやるせない。

 この作品に特徴的なのは、現代の中国の状況をとてもよく描いている点。あまりにも急すぎる成長を続ける中国の危うさが描かれているように思えた。

 つい最近まで社会主義国だったはずなのに、今や世界の市場経済の中心となりつつある中国。この中国が持つ二面性は、世捨て人のように生きる先生と、商業的に成功し、売れっ子音楽家を育て続ける先生の対比でよく描かれている。

 この作品では、どちらの先生が正しいとも優れているとも描いていない。どちらの先生もいいところ、悪いところがある。

 中国人と言うと、現実的でエネルギッシュで、悪く言えばあつかましいイメージがつきまとう。特に金満主義のまかりとおる現代中国、どうも中国人は悪いイメージばかりが目に付くが、一方でその対極にいるような人が存在するのも確かだろう。
 この作品での、少年の父親がそれ。私利私欲のまるでない、愚直にまっすぐに生きるこの父親は、例えば日本映画に出てきたらウソくさくなってしまうが、中国であれば、こういう人もいるだろうと思えてくる。

 悪く言えばありがちな「天才児の成長物語」に、現代中国社会の歪みをさらりと織り込みながら、感動的な作品に仕上げている。さすがチェン・カイコー、といったところか。
息子のまなざし
2002年 ベルギー・フランス合作
2005年1月 テレビ録画にて鑑賞
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 久しぶりに深く考えさせられる映画を観た。

 職業訓練所で木工の教師として働く男と、生徒としてやってきた少年との交流を描いている。
 徹頭徹尾、抑えた表現の作品だった。音楽はまったく無し。カメラは常に主人公の教師をアップでとらえている。ハンドカメラのブレブレの映像が、ひたすら長回しで綴られている。

 教師は、少年に対し並々ならぬ興味を抱いている。陰から覗いたり、勤務後にさりげなく待ち構えていたり、挙句の果てにはロッカーから鍵を盗んで少年の部屋に侵入したり・・・。

 冒頭からの彼の挙動不審ぶりからして、「こいつはヘンタイなのか」といぶかりながら観ていたが、物語中盤で、彼の不審な行動の理由が明かされる。
 彼の行動の理由がわかってからは、彼の表情や行動の一つ一つが重く、考えさせられるものだった。

 この作品が問いかけてくるテーマは重い。自分の子を、子供に殺されてしまった親は、その子供を許すことができるのか。少年の重犯罪が増えている日本にとっても、避けて通りがたいテーマだ。

 作品中、彼は少年をひたすら観察し、とにかく少年のことを知ろうとする。
 ここに鍵があるのだと思う。相手を許すためには、相手のことをよく知らなくてはならない。相手のことをよく知らないからこそ、相手を恐れ、憎むという構図がある。
 加害者とはいえ、相手はまだ少年。それも、若くして世間の荒波に晒されながら、苦しい人生を生きていかなくてはならない。そのことを、彼は少年を観察することで、理解していったのだと思う。

 世の親たちすべてが彼のような行動をとりえるとは思えない。また、彼のような寛容な姿勢でなくてはならない、と言うことは私にはできない。加害者を一生憎しみ続けるのが、普通の姿だと思う。

 ただ、憎しみを乗り越えたいのであれば相手を許すことが大切であり、相手を許すためには相手を知らなくてはならない。
 そのことを教えてくれる作品だった。

 観終わってから気づいたのだが、タイトルの「息子のまなざし」とは、背後霊のように教師を背後から捉えつづけたカメラのことなのかもしれない。
 観客は、亡き息子のまなざしで親の姿を追いかける。そして親が加害者の少年を許した瞬間、プツリとカメラは途切れ、物語は終わった。
ラスト・プレゼント
2001年 韓国映画
2005年1月 テレビ録画にて鑑賞
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 最近やたら観る機会が多くなった、韓国のラブストーリー。
 主人公は、「JSA」で凛々しい姿を見せたイ・ヨンエと、「イルマーレ」で誠実な青年を演じたイ・ジョンジェ。

 売れない芸人と、彼を支える妻のラブストーリー。すっかり冷え切った夫婦なのだが、妻は難病に冒されながらも、陰で夫を支え続けている・・・といった、もうベタベタのメロドラマ。

 評価の高い作品なのだけど、私はまったく泣けなかった。イ・ヨンエ演ずる妻はとっても健気でかわいいのだが。

 何がダメって、とにかく主人公のコントがあまりにもくだらないのがダメ。売れないまんまの芸人であればそれでもいいのだが、ブレイクしていく芸人の芸がこれかよ、とゲンナリした。
 韓国と日本とでは笑いのツボが微妙に違ったりするのかもしれないが。

 とにかくその点がアダになって、感動するような心のゆとりのないままダラダラと2時間を過ごしてしまった。
カンフーハッスル
2004年 香港映画
2005年1月 立川シネマシティにて鑑賞
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 「少林サッカー」のチャウ・シンチーの新作。
 少林サッカーでは、カンフーを使うサッカーを描いていたが、今回はカンフーそのものを描いている。

 今回も、前作同様ブサイクなキャラのオンパレードで、冴えないルックスと超絶パワーのギャップが笑いを誘う仕組みになっている。
 予告編から「ありえねー戦い」を強調していたように、まったくありえない戦いが目白押し。
 ただ、ありえねー戦いを描きたいのなら、何も実写じゃなくてアニメでもいい。むしろ、もっと笑える要素が欲しかった。
 もちろん、あんなありえねー戦いを大真面目にやっていること自体が笑えるし、「十分面白いだろう」という人も多いだろうが、個人的には真面目にカンフーやるよりも、もっとコメディタッチに振ってほしかった。

 「ハンディキャップを背負った女性との恋」ってのが前作とまったく同じパターンで、しかもただ上っ面をなぞっただけのような描写で、いただけない。恋愛要素を入れ込みたいのだったら、もうちょっと掘り下げて描いてほしかった。

 期待していただけに厳しい意見になってしまったが、前作同様楽しい作品であることは事実。作風が似ているだけに、どうしても前作と比較してしまう、ってところか。

 

 
バトル・ロワイアル
2000年 日本映画
テレビ録画にて鑑賞
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 説明するまでもないだろうが、鬼才・深作欣二の遺作。「中学生がバトルロイヤル形式に殺し合う」という、とんでもない暴力的・残虐な作品なので、公開時にはかなり物議を醸していた。
 国会でも取り上げられたのだから、物議を醸したという点で歴史に残る作品と言ってもいいだろう。

 この作品を評価するのは難しい。製作者側は、必ずしも暴力万歳の作品を作ったつもりはないのだろう。藤原竜也と前田亜季のカップルと山本太郎が、結局は殺し合うことなく生きて出てきたし、彼ら三人以外でも、極限状態のなか助け合って生きていこうとする姿も所々描かれている。
 しかし、例えば小学生や中学生は、製作者側の意図を汲み取ってこの作品を観られるだろうか。個人差はあるだろうが、暴力的な衝動を付与してしまう結果になりかねないのではないか。実際、この作品を観たことが影響したと思われる、残忍な事件も起っている。

 やはり、「中学生が殺しあう」ってとこは大問題なのではないか。ただでさえ微妙な年頃の中学生、こういう過激な作品が心理に与える影響は、無視できないのではないか。
 これだけ小中学生の残酷な事件が続いている昨今、暴力描写の心理的な影響というのは、無視していいと私は思わない。

 また、大人と子供の対立がこの作品の前提として存在しているが、それをことさら強調して描くのはいかがなもんか。
 中学生同士の友情・愛情については、いくつも救いがあるのだが、大人と子供の対立に対しては、救いの無い作品になっている。

 ということで、私はこの作品については否定的だ。

 それ以前に、この作品の背景となっている「BR法」がまったく意味がわからない。
 そもそも、なぜ彼ら中学生たちは殺しあわなくてはならないのか。毎年、全国からあるクラスを抽出して、そのうち一人だけ生き延びさせられるってのは、いったい何の意味があるのか。
 第一、国家の意思としてこんなことがまかり通るわけがない。
 大人が子供を恐れた結果としての方策としては、まるで筋が通らないのではないか。

 言ってみれば荒唐無稽なこの作品、少なくとも「なぜ殺しあわなくてはならないのか」ということを、観客が納得できる部分が無ければダメなのではないか。
KAMIKAZE TAXI
1994年 日本映画
テレビ録画にて鑑賞
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 「金融腐食列島」(99年)や「突入せよ!「あさま山荘」事件」(02年)を撮った原田眞人の作品。この2作は観たことがないが、97年の作品「バウンスKo-Gals」を観て原田監督の独特なセンスの持ち主だと思って注目していた。

 観たことがないのに言うのも何だが、上記2作のようなバリバリの社会派作品よりも、「バウンス~」やこの作品のような、社会的なテーマを織り交ぜながら軽妙なタッチで描いている作品のほうが、原田監督らしいセンスが表に出るのではないだろうか。

 この作品は、単純に言えば「恋人や親友を殺した組長らに敵討ちをしようとするチンピラが、日系ペルー人のタクシードライバーと出会い、追手をかわしながら敵討ちを遂げる」というプロット。
 単純明快なプロットなのだが、これに外国人労働者問題、自己啓発セミナーの問題なんてのが絡み合う。
 個人的に、社会的なテーマが絡んでいる話は好きなのだが、自己啓発セミナーのくだりは要らなかったんじゃないかと思う。物語中盤の、自己啓発セミナーの部分はちょっとダレていた。
 終盤、役所広司がヒットマンと化し、俄然緊迫してから以降は、とっても面白かっただけに、残念。

 この役所広司のキャラクターがとってもユニークでおもしろい。地道に生真面目に生きる日系の出稼ぎ労働者なのだが、やたら肝が据わっている。そのわけは、母国ペルーでゲリラのセンデロ・ルミノソに家族を殺されて、その敵を討つために武力闘争をした時代があったため。
 だから、ヒットマンとしてヤクザや政治家のSPとサシで渡り合うというのも、納得できるようになっている。

 役者がまた魅力的。役所広司はもちろん、高橋和也、ミッキー・カーティスがとってもいい味出してる。
 そして、橋口亮輔の「ハッシュ!」で好演しブルーリボン賞の主演女優賞をとるなど、大女優として認識されるようになった片岡礼子がいい。
 それほど美人ではないし、すごく抑えた演技なのに、とても存在感があって、魅力的。
白い風船
1995年 イラン映画
テレビ録画にて鑑賞
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 お店に置かれているキレイな金魚が欲しくて欲しくて仕方がない少女の話。金魚を買いに行く道中、お母さんから貰ったお金を落としてしまう・・・。脚本はキアロスタミ。

 イラン版「はじめてのおつかい」といった話で、他愛がないといえば他愛のない話。淡々と話が進むので、退屈と感じる人も多いかもしれない。
 かく言う私も、実は以前に観たことがあったにも関わらず、初見だとばかり思っていて、途中まで気づかなかった。少なくとも、以前観た頃(大学生の頃だったか)にはほとんど印象に残らなかったということだろう。

 でもなかなか味のあるいい作品だと思う。この作品に出てくるオトナたちは、(父親を除き)決して悪い人たちではないのだが、小さな少女からすれば、みんな怖い人に見えてしまう。オトナの理屈とは違う世界に住んでいる少女の目から見ると、何だか冷たい人たちばかりに思えてしまう。

 この作品の舞台は首都のテヘランなのだろう。都会であるが故の冷たさ、無関心ぶりが描かれている。
 それがよく現れているのが、地方出身の若い兵士とのやりとり。兵士は田舎の妹によく似た少女につい話しかけただけなんだろうが、少女やお兄ちゃんにとっては、警戒すべき他人。自分のお金を盗ろうとするかもしれない人なのだ。二人は最後まで兵士に心を許すことができない。
 側溝に落としたお金を、最後は結局拾うことができたのだが、拾うことに協力してくれた少年やおじさんに対し、二人はお礼も何も言わないまま、さっさと去って金魚を買いに行ってしまう。何となく後味が悪いのだ。

 イランではそういう人間関係が当たり前、ってことではないと思う。二人に協力してくれた少年が、寂しそうに一人残されている姿を最後に撮っていることからして、やはり都会の希薄な人間関係を描いているのだと思った。この少年が、イランでは少数民族だろう東洋的な顔立ちをしていたのも示唆的だ。
ラブストーリー
2003年 韓国映画
テレビ録画にて鑑賞
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 なんともベタなタイトルなので甘っちょろい恋愛映画だろうという不安はあったが、「猟奇的な彼女」のクァク・ジェヨン監督の作品なので観てみようと思った。
 「猟奇的な~」ではエキセントリックな女の子を描いていたが、この作品では一転してイジイジした女性を描いている。
 ただし「テコンドーの達人」という設定は少しあざとい気もする(結局この設定は最後まで生かされていない)。

 「ステキな先輩」に恋心を抱く大学生・ジュヘは、偶然目にした母の日記を読み、母の青春時代の淡い恋を知る。ジュヘ自身の「ステキな先輩」との恋と、日記のなかの母の恋がシンクロされていく。

 ツタの絡んだ白い家に、白いハト、そよぐ風、ステキな先輩。そんな少女趣味丸出しの導入部分では、やはりどうしようもなく甘ったるい恋愛映画かとうんざりしていたが、物語が進むにつれてなかなか面白くなってきた。

 現代に生きるジヘと、パク・チョンヒの独裁政権時代に生きる母との対比が面白い。
 儒教の文化の根強い韓国では、男尊女卑、親子の上下関係の厳しさなどがつい最近までは当たり前のものとしてあったのだが、それが最近は崩れてきているというのがよく対比されている。

 母を愛した青年ジュナは、母と別れて兵士となり、ベトナムの戦地へと向かう。いわゆる上流階級の母や、ジュナの親友テスは、大学生として反体制デモに参加したりしている一方で、貧しい家庭のジュナは徴兵されて兵士になっている。ほんの40年前、韓国というのはそういう国だったのだということが興味深い。
 ここでジュナは、アジア人がアメリカのイヌになったと後ろ指を指されていた、残虐非道と悪名高き「猛虎師団」の兵士となっている。その描き方はともかく、猛虎師団を韓国人が描いた映画が外国で公開されているというのはなかなか珍しいのじゃないかと思う。

 それはともかく、後半は涙なくしては観られない。ラストのペンダントのくだりなど、やられた~と思いながらも、胸が熱くなった。

 ベタなタイトルだからと侮ってはいけない。なかなか上質な恋愛映画だった。
座頭市 1989年版
1989年 日本映画
テレビ録画にて鑑賞
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 本家・勝新座頭市のシリーズ26作目。勝新座頭市の最後の一作となる。ちなみに監督も勝新が務めている。
 私は本家の座頭市を観る前に北野座頭市を観てしまった。そして今度は本家の最後の作品。何だか順序が逆だ。

 北野座頭市も北野らしいセンスで描かれていてなかなかいい、と思っていたのだが、本家・勝新のスゴさを目の当たりにしてしまうと、やはりモノが違うと思った。

 俳優・勝新を初めて観た私が勝新を語ることは恐れ多くてできないが、とにかくその存在感と独特な個性はスゴい。あれだけ自由奔放な生き方をしながらも皆から愛されていたのもわかる。勝新座頭市を観ると、勝新に敬意と親近感を抱かずにはいられない。

 
イルマーレ
2000年 韓国映画
テレビ録画にて鑑賞
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 「猟奇的な彼女」でブレイクしたチョン・ジヒョン主演のラブストーリー。「猟奇的な~」より1年前に撮影されている。

 遠浅の海の上に浮かぶ(一見モルディブあたりの水上コテージのような)家、イルマーレ。そのイルマーレの前に置かれている郵便ポストを通じ、二人の男女が手紙を交し合う。ところがその二人が生きているのは、2年という年月が隔たった世界・・・。

 設定がまるっきり現実離れしているのだが、そもそもこれはファンタジーだということで、そういうもんだと納得はできる。辻褄の合わないところはいくらでもあるが、それは目をつぶろう。

 それにしても私には退屈で仕方なかった。落ち着いた描き方で、大人のラブストーリー風ではあるが、むしろ大人のラブストーリーに憧れる少女向けのラブストーリーだったように思える。
 とにかく、主演(男)イ・ジョンジェのキザったらしい演技が鼻に付く。なんかもう、立ち居振る舞いのすべてがうっとおしい。
 プロットも、なんだか韓国テレビドラマ風。テレビドラマほどベタではないのだが、「昔の男を忘れたくても忘れられない」女と、「偉大な父親に捨てられたことがトラウマになっている」男の話なのだから・・・。
 いわゆる「韓流」ドラマにキャーキャー言ってる人たちにはいいのかもしれない。少なくとも私には、ベタでチープなラブストーリーにしか思えなかった。
たそがれ清兵衛
2002年 日本映画
テレビ録画にて鑑賞
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 山田洋次が初めて挑んだ時代劇。初の時代劇ながら、山田洋次らしい作品になっていると思う。
 この作品を観る前に、藤沢周平の同名原作を読んでいただけに、藤沢作品の清廉さにはやはり及ばないかな、なんて思う。いや、清廉な世界を表現していたとは思うのだが、藤沢作品の世界の美しさは、映像では表現しきれないものなのかもしれない。

 庄内(山形)の小藩・海坂藩の平侍、井口清兵衛は、妻を亡くしたために、二人の娘と耄碌した母の世話に追われる毎日。勤務後のたそがれ時に、同僚の誘いも聞かずにまっすぐに帰宅する姿を揶揄され「たそがれ清兵衛」と呼ばれている。

 幕末の混沌期、京や江戸とは遠く離れた小藩で、時代の変革期であることは感じていながら、平穏な生活を粛々と営んでいる清廉な武士の姿を描いているのだ。

 違和感を感じずにはいられなかったのは、清兵衛の恋物語が妙に強調されている点。原作では、清兵衛はもっと清廉な人物だったはず。いい年して恋に迷う姿を見せられると、清兵衛の魅力も半減。
 それが山田洋次らしいところなのかもしれないが。

 実はこの作品、エンドロールでわかったのだが、「たそがれ清兵衛」「竹光始末」「祝い人助八」という3つの短編をごった煮にしたもの。それがわかれば合点がいく。この作品での清兵衛は、むしろ「祝い人助八」の助八に近い人物像なのだ。

 原作による先入観抜きにこの作品を観ていれば、すっきりとこの作品の世界に浸ることができ、また、清兵衛の人物像にも好意をもてたかもしれない。真田広之の演技の素晴しさにも素直に感動できたかもしれない。
 ああ、原作読まずに見ればよかった。
酔っぱらった馬の時間
2000年 イラン・フランス映画
テレビ録画にて鑑賞
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 クルド人監督による、クルド語で作られた「ほぼ」初めての映画(「ほぼ」というのはヘンな表現だが、最初のクレジット画面でそう翻訳されている)。

 イラク国境に近い、イラン領土内に住むクルド人一家の生活を描いている。母親はお産で、父親は地雷で、それぞれ命を落としている。そして、長男は重度の障害者。
 そんな境遇のなか、懸命に生きる子供たちの生活が淡々と綴られている。

 クルド人がイランやイラク、トルコといった諸国で迫害されていることは知っていても、彼らの日常生活を知ることは、日本人には難しい。ロバの背にトラックのタイヤをくくりつけて密輸を敢行している人たちがいることも知らないし、寒さからロバを守るため、ロバに酒を飲まさなくてはならないほどの寒さの厳しい山岳地帯に生きているということも知らない。
 もちろんこの作品はドキュメンタリーではなく劇映画なのだが、クルド人の監督がクルド人を使って作った作品なだけに、リアリティに溢れている。

 この作品、とてもメッセージ性が高い作品だと思うのだが、悪名高い検閲のあるイラン映画として公開されているのが意外だ。
 イランの検閲者たちは、子供が主人公であれば基準がとたんに甘くなってしまうのだろうか。この作品に限らず、子供が主人公のメッセージ性が高いイラン映画がやけに多い。

 これだけ過酷な生活を描いたこの作品、全体に重いトーンで描かれていて、ユーモアを感じさせるシーンなどほとんどない。それにも関わらず、観てもそれほど重苦しい気持ちにならずに済むのは、主人公の少年がとっても頑張り屋で優しくて、誰しもが応援したくなるような子だからだろう。
 でもそれだけに、ラストでの少年の悲痛な叫びは、とても胸に深く響いた。
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