読む映画
「感想」に毛の生えた程度のレビューをシコシコ書いています  ネタバレだらけなので、未見の方はご注意ください~
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ライフ・オブ・デビッド・ゲイル
2003年 アメリカ映画
テレビ録画にて鑑賞
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 死刑制度の是非を問う社会派サスペンス。死刑廃止論者の学者が、同僚の死刑廃止運動家の女性をレイプし殺害したとの罪で、死刑に処せられてしまう。

 主人公のデビッド・ゲイルを演じるのは、「クセモノ」と必ず形容されるようになったケビン・スペイシー。ゲイルに取材する雑誌記者を演じるのは、ケイト・ウィンスレット。演技レベルの高いこの二人のおかげで、サスペンスとしてとても緊迫した作品になっている。

 でも、ちょっとプロットがイマイチ。死刑廃止を唱える人たちが、いわば人柱となって死刑廃止運動を盛り立てていこうとしたわけだが、それはいくらなんでもやりすぎだろう、と思う。
 死刑制度のあり方というのは、とてもデリケートな問題なので、こういう極端なアプローチをするのはどうかと思う。少なくとも私は、この作品を観て、「そうだ、冤罪の可能性がある以上、死刑制度なんてなくなればいいんだ」とは思えなかった。
 むしろ、こういう過激すぎる運動家たちは、世論の保守化を加速させるのではないかとすら思えた。

 監督のアラン・パーカーはじめ、この作品の作り手たちは、きっと死刑廃止をアピールしたかったのだろうが、意図したとおりに観ることは難しい。
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モーターサイクル・ダイアリーズ
2004年 イギリス・アメリカ合作
恵比寿ガーデンシネマにて鑑賞
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 キューバ革命の英雄、チェ・ゲバラの若き日々の貧乏旅行を描いたロード・ムービー。私はロード・ムービーが大好きなので、この作品にはすっかり魅了されてしまった。

 ゲバラと言えば、もはや「神」とも言える存在で、ラテンアメリカの精神的支柱と言ってもいいような人物。まず、そんなゲバラを描こうとした監督のウォルター・サエスや、主演のガエル・ガルシア・ベルナールに敬意を表したい。
 また、プロデューサーであるレッドフォードの、アメリカ人離れした見識の広さにも、敬意を表したい。

 ゲバラが実に人間臭く、生き生きと描かれているのがいい。
 若く、好奇心と行動力は人並み外れて強かったとは言え、英雄でも何でもない一人の若者に過ぎなかったゲバラが、長い旅を通じて何を感じ、何を心に刻んできたのかが、丁寧に描かれている。

 この作品でのゲバラは、喘息持ちで、ダンスは(ラテンアメリカの人間のくせに)全くダメ、と意外な一面を持っていたことが描かれていて、親近感を抱かせてくれる。
 しかしその一方で、とにかくバカ正直で、嘘をつくことができなくて、そして何より愛情に満ち溢れていて、誰よりも勇気がある。そんな、敬意と親しみを同時に憶えずにはいられないような愛すべきゲバラを、ガエルが素晴しい演技で表現していた。
 強さ、知性、繊細さ、愛らしさを兼ね備えたガエル無くして、この作品は無かったかもしれない。

 相棒のアルベルトを演じたロドリゴ・デ・ラ・セルナも素晴しい。口が達者で、一見軽薄でありながら、知性も垣間見せるような難しい役柄を、見事に演じていた。

 かつてバックパッカーだった私としては、2人が1950年代に行ったこの貧乏旅行は、とても興味深い。パタゴニアの寒風吹き荒れる大平原に野宿し、吹雪のアンデスを越える。
 それをポンコツバイクに荷物を満載して、何度も何度も転倒し、壊れた部品をハリガネで固定したりしながら、常にヒヤヒヤ状態で旅をしていたのだから、これはもう無謀以外の何物でもない。吹雪くアンデスを、壊れたバイクを押し上げながら進んでいたなんて・・・。

 結局途中でバイクはオシャカになってしまい、徒歩とヒッチハイクで進んでいくことになる。「モーターサイクル・ダイアリーズ」なのに、モーターサイクルを失ってからの旅の方が面白かったりする。
 実際、バイクで(ポンコツで極めて遅いとは言え)風景をすっ飛ばしながら進むのは爽快かもしれないが、そこには出会いは生まれにくい。実際、バイクにまたがっていた頃の彼らは、ヤンチャである意味タチの悪い旅人に過ぎなかったように思える。旅先で出会う人たちも、胡散臭い目で彼らを見ていただろう。
 徒歩で歩くようになって初めて、彼らは現地の人々の視線で物を見ることができるようになった。アルゼンチンの裕福な家庭のオボッチャンだった彼らが、チリ・ボリビア・ペルーといった国々で不条理な世界、つまり善良な多くの人たちが一部の資本家たちに搾取され苦しんでいるという世界を目の当たりにしえたのも、地を這うように歩いたが故だったと思う。

 多感なゲバラはこの旅でいやというほど多くのことを感じたのだろう。旅の終わりの頃、ハンセン病施設で自分の誕生日のパーティで、「南米大陸を統一しよう」なんてスピーチを唐突にぶってしまうあたりが、この青年の純朴さ、誠実さを表していると同時に、英雄となった彼の資質を表している。そして、これがこの作品のクライマックスであり、「稀代の革命家・ゲバラ」が誕生した瞬間だったと言えるだろう。

 ロード・ムービーとして純粋に楽しい作品であると同時に、ゲバラという人物が形成されてきた過程の一部を知ることができるという、最高の作品だった。

 いわゆる全共闘世代の人たちがノスタルジーを求めて観に来てたりするのかな、なんて思ったが、ガーデンシネマの観客はほとんどが若者だった。ゲバラという人物を色眼鏡無しで見られるのはいいことかもしれないが、一方でこの作品だけでゲバラという人物を評価してしまうのは危険な気もした。


Mr.インクレディブル
2004年 アメリカ映画
TOHOシネマズ南大沢にて鑑賞
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 予告編を何度か観て、「こりゃ観なくては」と思っていた。
 やはりピクサーの作品には外れがない。単純に楽しい作品だった。

 前週に観た「ハウルの動く城」とどうしても比較してしまうのだが、「ハウル」がストーリーの説明不足で観客が消化不良に陥りぎみなのに対し、この作品は極めて単純明快。老若男女が楽しめる映画はこうでなくっては。

 何が楽しいって、個人的には息子の「ダッシュ」君(名前も単純明快でイイ)がひたすら駆け回っているシーンが楽しい。とにかく走ってるだけなのにワクワクする。

 ただ一方で、「正義のヒーローvs悪者」の構図、「家族愛って何より素晴しい」という価値観、といったあまりに単純すぎる作風には、ちょっと引っかかるものがある。
 とめどなく保守化を続け、内向きの価値観に飲み込まれてしまっているアメリカで作られた映画だからだ。

 こんな楽しい作品を政治と搦めて考えるのはヤボってものなのかもしれない。それでもやはり、あまりに酷いアメリカの現状を考えると、ヤボは承知でも一言付け加えておきたかった。
ハウルの動く城
2002年 日本映画
TOHOシネマズ南大沢にて鑑賞
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 説明するまでもないが、宮崎駿の新作。
 もはや「宮崎駿」「ジブリ」というだけでヒットは保証されてしまうわけだが、翻ってこの作品を観た人の評価は概して低い。
 宮崎映画の観客は、それこそ老若男女、あらゆる層のあらゆる価値観の人が観るわけで、この作品に低評価を与えている人がそのすべての層の意見を代表してるわけではない。オトナには物足りなくても、子供が楽しめればそれでいいじゃないか、とも思う。
 また、宮崎作品には一種コアなファン層があり、必ずしも映画ファンと言えない人が宮崎ファンだったりもするので、そのコアな宮崎ファンたちのマニアックな批判ばかりが目に付いている気もした。とにかく、面白くても面白くなくても、自分で観てみなくては。

 さて、感想。
 評価が低いのも納得、というところ。
 映像自体は相変わらず魅力的で、キャラも面白く楽しめたのだが、あまりにも話が説明不足に過ぎる。少なくとも子供たちがきちんと理解できる話ではない。
 突っ込みどころはいくらでもあるが、なかでもちょっとガマンできないのは、心情描写が弱すぎること。
 なぜハウルとソフィーは恋に落ちるのか。なぜハウルは悪魔に魂を売ったのか。なぜハウルは戦争の妨害をしているのか(そもそもここでの戦争とは何なのか)・・・。

 もちろん観客の側でいくらでも解釈はできるのだが、ここまで描写を省かれてしまうと、さすがに怠慢だとしか思えない。登場人物の心情描写が甘いものだから、彼らの行動の必然性・切迫性を感じることができず、ご都合主義的なストーリー展開に思えてくる。

 これがジブリの作品でなければ、「ストーリー展開は稚拙だが、映像には惹きつけられるものがある」といった肯定的な評価もできるだろう。しかし、もはやジブリの作品は、映像は素晴しくて当たり前。素晴しい映像をベースに描かれるワクワクするストーリーを観客は求めているのだ。

 常に高いレベルの仕事を求められるジブリは大変だなあとは思う。この程度の作品だと、「こりゃやっつけ仕事だわ」、という評価になってしまうのだから。

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