読む映画
「感想」に毛の生えた程度のレビューをシコシコ書いています  ネタバレだらけなので、未見の方はご注意ください~
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セントラル・ステーション
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フェルナンダ・モンテネグロ (2003/12/05)
アミューズソフトエンタテインメント

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1998年 ブラジル映画
テレビ録画にて鑑賞
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 ロードムービー好きな私は、ついついロードムービーに対しては評価が甘くなってしまいます。
 この作品も、ブラジルの様々な風景が切り取られているだけで私はうれしくなってしまうのですが、もちろんこの作品の醍醐味は風景ではありません。

とにかく生きていかなくてはいけない環境にいるドーラとジョズエ。決して善人ではないドーラと、素直になれないジョズエが、いがみ合いながらも心を通わせていく過程が自然に描かれていて、とても良い感じでした。

 初老と言っていいドーラが「変わる」ことは、とっても難しいことだと思います。実際、彼女が善人に生まれ変わったというわけではないはず。
 厳しい現実のなかで戦わなくてはいけないけれども、人との関わりを持って、泣いたり笑ったりしながら生きていく。不器用で無愛想なドーラが、ジョズエとの旅のなかでそういう人生を選択しようとしていることが、とても爽やかなことに思えました。

 心にバリアを張っていれば傷つかずにはすむけれど、そんな人生よりも、もっと泣いたり笑ったり素直にできる人生のほうが充実しているはず。
 そのメッセージは、ブラジル社会とはまったく異質の日本に住んでいる私にも、決して無縁ではないんですよね。
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カランジル
2003年 ブラジル映画
テレビ録画にて鑑賞
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 日本では劇場未公開の作品。
 2006年2月はドキュメンタリー強化月間なのか、WOWOWでマイナーなこの作品を流していました。

 この作品はドキュメンタリーではないのですが、1992年にサンパウロの刑務所で実際にあった事件を基にしています。
 暴動を起こした刑務所の服役囚たちに対し、警官隊が無差別発砲、111人が死亡したという事件です。

 逃げ惑う囚人たちを一方的に殺戮した警官隊たちの行為を告発するという描き方をしていて、社会性の高い作品と言えるでしょう。
 でも、作品中のほとんどの時間は、刑務所の中の日常が描かれています。

 刑務所の日常を丹念に描いておいて、唐突に事件が勃発する。
 そういう描き方をすることで、事件の残忍性を際立たせようとする狙いがあったのかもしれませんが、私にはちょっとチグハグに思えました。

 事件そのものよりも、日本人である私にとっては、カランジル刑務所の日常そのものが衝撃的だったのです。
 こりゃ動物園だ、と言ったら動物に失礼なんじゃないかとすら思えるような無秩序で野蛮な世界。
 囚人同士の殺人すら頻発するような世界なのです。

 まるで「刑務」所としての機能が働いておらず、ただ悪党たちの巣窟と化している刑務所。
 日本人の私にはそのことが衝撃的で、日本とブラジルの文化の壁を感じてしまったのでした。

テーマ:映画感想 - ジャンル:映画

ポビーとディンガン
2005年 オーストラリア・イギリス合作
恵比寿ガーデンシネマにて鑑賞
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 久々に恵比寿で鑑賞。年末の週末、予想していた通りかなりの混雑でした。
 席をネットで事前予約するという最近のシネコンスタイルに慣れてしまった身には、混雑する映画館で席を取るのはシンドイもんでした。
 恵比寿は整理券方式なので、まだいい方なんですけどね。

 さて、この作品は、私の好きなイギリス映画「フル・モンティ」の監督ピーター・カッタネオの作品です。
 「フル・モンティ」では、90年代の不況下にあるイギリスで、リストラされた工員たちがストリップに挑戦するという設定でした。
 今作は、舞台こそオーストラリアですが、炭鉱街に暮らす一家を描いていて、「フル・モンティ」と似た設定です。

 私は生活の苦しい労働者たちの頑張りを描いた、この手のイギリス映画がとても好きなのです。ケン・ローチ監督の諸作品や、「リトル・ダンサー」、ちょっと毛色は違うかもしれませんが、マイク・リー監督の「秘密と嘘」など、厳しい生活環境に置かれている人たちを暖かく見つめているような、素晴らしい作品がイギリスにはたくさんあります。

 この作品の一家の生活環境も、とても劣悪です。
 一攫千金を夢見る父親は、妻と息子と娘の3人を連れて、オーストラリアのオパール鉱山の街へやってきました。
 しかし一向に鉱脈を掘り当てられないため、一家はジリ貧状態。
 そのうえ娘のケリーアンは、「ポビー」と「ディンガン」という架空の友達の存在を信じきっていて、空想の世界に引きこもってしまっています。
 仲の良い家族ではあるものの、今後の生活を考えると、暗澹たる想いにならざるをえないような環境です。

 そのうえ、あらぬ疑いをかけられて、一家は街のコミュニティーにもつまはじきにされてしまう。
 そんな崩壊寸前の家族の奮闘ぶりが素晴らしいのです。
フリーダ
2002年 アメリカ映画
テレビ録画にて観賞
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 メキシコの女性画家、フリーダ・カーロの生涯を描いた作品。
 私は過去に二度メキシコを旅行したことがあり、フリーダ・カーロの名前をたまたま知っていた。彼女がとても正視できないような痛々しい作品を創り続けていたことも知っていた。でも、正直彼女の描く絵は好きではなかった。
 それでも、この作品で描かれているフリーダの衝撃的な生涯には驚かされた。

 そもそも、フリーダがかのディエゴ・リベラ(メキシコで最も有名な画家)と結婚生活を営んでいたことも知らなかった。
 ましてや、ディエゴやフリーダがかのトロツキーを匿っていたことも知らなかったし、それどころかフリーダがトロツキーと浮気をしてしまった(これは本当かどうか怪しいと思うけど)ことなど、知るはずもなかった。

 登場人物がみな英語で会話しているというのは、メキシコを旅行したことがある人なら猛烈な違和感を感ぜずにはいられないだろう。なにせイエスやノーも通用しないような国なのだから。
 そんな根本的な欠点がありながらも、この作品は、当時のメキシコの世情を感じられる作品になっている。

 それにしても、ディエゴ・リベラの怪人物ぶりには驚かされた。彼の描く作品から、大らかでエネルギッシュな人物なのだろうとは想像していたが、大らかぶりもエネルギッシュぶりも人並み外れている。
 コミュニストでありながら政府庁舎の壁画なんていう仕事を引き受け、当然「同志」たちからは非難されてしまう。挙句の果てには資本家の巣窟と言ってもいいアメリカに渡り、かの億万長者ロックフェラーの仕事まで引き受けてしまう。
 そのくせ、ロックフェラーに依頼された壁画にレーニンの肖像描きこみ、ロックフェラーに「書き直せ」と強要されても頑として受け付けない。
 そして、醜さを「美しい」と感じ、本気で愛そうとするような男でありながら、どうしようもない浮気者でもある。絵画のモデルたちのみならず、フリーダの妹にまで手を出してしまうという節操の無さだから呆れる。

 まさに怪人物といっていい人物だが、結局そのディエゴも、フリーダの絵画の力と人間的な力には心底敬意を感じ、本気で愛し続けていたというのが面白かった。
天国の口、終りの楽園。
 「アモーレス・ペロス」で衝撃的とさえ言える存在感を発揮したガエル・ガルシア・ベルナール主演。そのガエルを見ることだけが目的と言ってもよかったのだが、この作品では残念ながらさほど輝きを見ることはできなかった。

 主人公の青年二人の「ヤリたいパワー」炸裂ぶりには、それなりに楽しめる部分はあったが、全体的には凡庸。そう感じさせる一番の原因は、ヒロインのスペイン人「美女」が、決して美女に見えなかったこと。美男子ふたりが心惑わされるにしてはちょっと役不足。美人かそうでないかは個人的な嗜好の問題なのだろうが、少なくとも私は、あまりこのヒロインにときめいたりはしないだろう。いや、私でさえ、か。
 青年ふたりが十分にチャーミングなだけに、残念。

 二度目のメキシコ旅行を控えた私には、まあまあ、って感じなのだが、メキシコにもガエルにも関心の無い人には、イマイチな作品かもしれない。
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アモーレス・ペロス
 メキシコ発の、スタイリッシュな人間ドラマ。
 原題は、「イヌのような愛」というような意味らしい。その解釈は
観客それぞれにゆだねられるのだろう。

 冒頭で、「この作品では動物虐待はしておりません」といった
一文がデカデカと示される。無粋だなあ、とちょっと興ざめして
しまったが、観ているうちに納得。闘犬ではイヌが血みどろの
殺し合いをし、死んだイヌの姿が何度も映されるのだ。これじゃ
どこかの、それこそ無粋な動物愛護団体やらがクレームつけ
たがるだろう。

 個人的な話で恐縮だが、私は去年、夏休みを利用してメキシコを訪れた。メキシコシティにも何日か滞在したのだが、だからこそ、この作品のナマナマしさ、やるせなさが、痛いほどに伝わってきた。
 メキシコシティという街は、どうしようもなく混沌としている。アジアのカオス都市、インドのカルカッタやタイのバンコク、バングラデシュのダッカといった街に比肩するような混沌ぶりだった。むしろ、アジア的なウェットな感じがないぶん、激しい暴力や怒りといったものをそこここに感じさせる街だと言ってもいい。

 この作品は、そんなメキシコシティの混沌ぶりがよく描かれている。物語は3部構成のオムニバスで、複雑にからみあっている。その構成からして混沌ぶりをよくあらわしている。
 そして、第一部での下層社会の青年の物語と、第二部でのハイソな女優の物語は、メキシコ社会が貧富の差という面でも多面的であることをあらわしている。

 そんな混沌としたメキシコシティで、人はそれぞれ、苦しみ、悩みながら、愛を求める。痛いくらいに・・・。
 スタイリッシュでスピード感あふれる映像の連続で、いわゆる「シブヤ系」な雰囲気もかもし出す作品ではあるけど、決して薄っぺらくはない。むしろ、スタイリッシュな映像と、ドロドロとした「イヌような愛」を求める人たちの生き方のギャップが、またメキシコ的な混沌だったりする。
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